死について語ることを否定しなかった人のこと/「生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい」

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい

 このフレーズを初めて聴いたとき、私は安心感のようなものを覚えたと思います。同時に、そう言われてもねぇ、死ねないから辛いんだよねぇと、さまざまな感情がない交ぜになった複雑な気持ちで、ボワ~ンとしながら聴いていました。

 心身共に不調で「死にたい」の真っ只中にいたとき、昔の知り合いに思わずこぼしたことがあります。

「なんで死んじゃダメなんだろうね」

 その人は言いました。

「うーん、なんで死んじゃダメなのか今の自分にはわからないけど、きっと答えはあるんだと思う。今は答えられないけど、探しておくよ」

 私は驚きました。こんな答えが返ってくるとは思わなかったから。「死んではいけない!」と言われなかったことが嬉しかった。素直な疑問をそのまま受け止めてもらえたことが嬉しかった。

 森山直太朗が歌う「生きてることが辛いなら」。作詞は御徒町凧。発表当時(2008年)、この曲は「賛否両論」とネットで話題になっていました。「いっそ小さく死ねばいい」の部分が自殺を助長するとか何とかかんとか。

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り

 「三日で元通りなわけないでしょう?」。そういう反応は自然です。大切な人が死んだときの喪失感は大きな痛みを伴います。でも、「小さく死ぬ」って何だろう。何に対して小さいんだろう。

 詩の解釈に正解はないけれど、こんな捉え方なら納得してもらえるかもしれません。たとえば「社会的な死」。仕事を辞める、学校を辞める、ドロップアウトする。命を絶つことに比べれば「小さい」。「なんで辞めちゃったの!?」とすったもんだはあるかもしれないけれど、三日も経てばある程度は落ち着きそう(そうじゃない場合もありそうだけど)。

 生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい。

 「命より大事な仕事なんてない」。そういう言葉はよく聞きますよね。私もそう思います。多くの人にとって命より大事な仕事はない。辛いときはちょっと休みなよ。辛くて辛くてどうしようもないのなら、いっそ辞めるという選択を考えてみてもいい。

 とは言いつつも、私がこの歌を聴きながら想うのは文字通りの死です。死は体験でも状態でもない。そう感じさせる言葉があちこちに散りばめられています。

歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場

 私はこの部分が大好きで、ふとしたときに思い出しては、一人うれしい気持ちに浸っています。この部分を聞くと、ホッとするというか、穏やかな気持ちになれるんですよね。本当に可愛らしくて素敵な言葉です。

何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る命だから

 冒頭の「死ねばいい」とは打って変わって、後半は「生きていこう」という色彩が強くなります。死にたいほどにつらいときは、このあたりのメッセージがしんどく感じることもあるかもしれません。いくら「死ねばいい」「泣けばいい」「悲しみをとくと見るがいい」と言われたって、辛いときは辛い。これらの言葉が問題を解決してくれるわけではないですものね。場合によっては、苦しんでいる人を責めるものになるかもしれない。言葉は諸刃の剣です。

 「しにたい死にたいシニタイ…自殺を渇望するあなたの心は」で書いた、「どうせ死ぬなら今死んだって同じでしょ?」に対する答えは、いまだに見つけられないままです。

 それでも私は「自然な形でいくのがいいんじゃないのかしら」と思って、現状維持で生きています。辛くなるたび「くたばる喜び」を取っておこうと思い直します。
 

<本日の一曲>
森山直太朗「生きてることが辛いなら」2008年

1 COMMENT

hiroko

このページ、何回も何年も読みました。
ナミさんありがとう。あなたのおかげで、まだ死なずに生きています。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です