ここ数日、人間関係の悩みについていろいろ書いてきたのですが、まぁ、これは一括りで語ることができない問題ですよね。
簡単に解決できない問題もあるし、いくら答えがわかっていても割り切れない思いもあります。
今日はそんなモヤモヤについて、あなたとお茶でもしながらお話する体で思ったことをバババーっと書きました。
もしお暇でしたらお付き合いくださいませ。
ネットで語られる人間関係のアレコレ
現実世界で「なんでこんなわからず屋ばっかりなんだ!」とガッカリしたとしても、パソコンやスマホをのぞけば、そこには日常とは別の世界が広がっています。Hello! インターネッツ!
魑魅魍魎のインターネット界ではありますが、目を凝らせば、賢明で冷静な判断力を持つ人たちが、いかにして他者との軋轢を避けるか、うまく関係を維持するにはどうしたらいいか、各々の意見を論じていて、とても勉強になります。
でも、そういう人たちを探すのは簡単ではなくて、自分が何かに対して怒っているときには怒っている人の発言ばかりを集めてしまうし、冷静に「あなたの主張は違うのではないか」と語る言葉には「なにをー?!」と腹を立ててしまいます。人間はどうやら信じたいものを信じる生きものなのですね。そして、賢明な人はそのことさえも自覚しているように感じるので、「あーすごいなー」と感嘆のため息がもれるばかりです。
さて、人間関係の問題。今のところ私はそれほど大きな苦痛を感じることなく、人付き合いをしています。と言っても、最低限の付き合いだけ。
そうなったきっかけとして、
・病気になって外出できなくなった
・人に何と思われるか考えたら怖くなった
・過去の嫌な経験が忘れない
ということもありますが、人と信頼関係を構築することに執着しなくなったことが一番大きいと思います。
その結果、穏やかな関係性を保てるようになった相手もいて、人間関係は距離感が重要だなと痛切に感じています。
あてつけの死
人間関係のことでは、まぁまぁそれなりに嫌な経験もしてきまして、語り始めればネタが尽きないのですが、もう話したくないし、わざわざ思い出したくもありません(というか思い出そうとしなくても常に頭にこびりついています)。自分より大変な経験をしている人もたくさんいるだろうから語るほどじゃないという意識もあります。まぁ、笑い話みたいになっている部分はいくらでもしゃべっていますけどね。
本当に傷ついた経験はやっぱり誰にも話せません。そのときには、「なんでそんなひどいこと!」「信じられない!」と怒りと悲しみでおかしくなってしまいそうでしたが(後々本当におかしくなるんですけど)、冷静になって考えてみれば自分にも非があったわけで、その部分に関してはただただごめんなさいです。
「死んで復讐してやる」と思ったこともあります。あてつけですね。自分の葬式を想像して、奴らがどんな顔するか、私の苦悩を知って何と思うか、さぁ、苦しめ! など考えて自分の痛みを慰める日々もありました。(病気と診断されてからの「死にたい」とは違う感覚でした)
でも、あるとき気づきました。私が死んでも私を傷つけた人が心を痛めることはない。後ろめたさを感じたとしても、どうせのうのうと生きていくんだろ、と。
実際相手がどう思うかはわからないんですけどね。少なくとも、自分が死んで得られるものはあまりに少ない。それで……そのあたりの記憶はちょっと曖昧です。確か「自分が幸せになることが復讐になる」という考え方を知りつつも、どうしてもそうは思えなくて、相変わらず感情をドロドロさせていたような気がします。
そんなこんなで長い時間、悩み苦しんだ結果、次へ進むしかないという結論を得ました。それで、爆走・迷走して破綻するんですけどね。あっはっはっはっは!
ナイショの話
今振り返ってみれば、そこまで絶望するようなことではなかったようにも思えますし、自分の愚かさばかりが目立って、それこそ悶え死にそうです。
だからといって、当時の自分が間違っていたとは思わないし、むしろ立派だったなぁと自画自賛しています(もちろん行動面での未熟さは多々ありましたが)。全力で物事に向き合って、全力で怒って、全力で泣いて。相手のことも自分のことも一生懸命考えて、その本気度がすごいなと。こんなこと誰にも言ったことないから秘密ですよ?
「たくさん悩んで成長すればいいんだよ」と言うつもりはないし、これからもそういう100%の自分でありたいとは思いませんが、もし可能なら過去の自分に「えらかったね」とヨシヨシしてあげたい。ほんとに。心から。
でも、まぁ正直に言えば、今はもう興味を失った。そんなところでしょうか。嫌な記憶をすべて失ってしまえたらラクになるのに、と思うこともありますが、そうしたら今の私はいないので、嫌だけど受け入れるのがベストですね。あぁー、なんだかなー。そんなの今だから言えることだし、当時はそういう言葉って聞きたくなかったんだよなー。と思いつつ。
あなたが好きだから~!
ここまでダラダラ書いてきましたが、何が言いたいかと申しますと、つらい気持ちは当人にしかわからない、私は今苦しんでいる人の苦しみを実感として理解することはできないということです。
そういうとき、言葉は本当に無力で、何を言っても虚しいばかり。こうやってブログに書くことさえも嫌になってしまいます。もしかしたら、私の言葉が誰かの絶望を深めているんじゃないかと思えてきて。
それでも私はつらかったとき「つらかったね」と言ってほしかったし、ちゃんと私の気持ちを聞いてほしかった。人の話を聞こうともせず、自分の意見を押しつける人が許せなかった。
そんな気持ちを思い出しながら、ブログを書いているのですが、まー本当に残念なことに、こればかりは自分で答えを見つけて進んでいくしかないんですよね。己で考え、己で選び、己で決める。
苦しみを取り去ることはできないけれど、背中をさすったり肩を貸すことはできる。あなたの代わりにお使いに行ってトイレットペーパーを買ってくることができる。庭の草木に水をあげることができる。
その代替行為がこのブログです。苦しい時間をやりすごすお手伝い。
「痛いの痛いの飛んでけ~」ほどの気休めでしかありませんが、ちょっとでもラクに生きるためのきっかけになればいいなと思います。
つらいとき、苦しいときは、周囲の誰かに「助けて!」とSOSのサインを出してください。
と言いつつ、私はそうやって人に頼ったり甘えたりすることが苦手なので、私と同じような人に「大丈夫? 無理しちゃダメよ?」と伝わったらいいなーと思っています。誰にも弱音を吐かず、今も黙って画面を見つめるそこのあなたに。
陰鬱な気持ちを吐き出す
本当につらいときは、どうやっても何をやっても「つらい」という感情しかなくて、もうどうしたらいいかわからないし「……」としか書けないのですが、苦しんでいる人の心がラクになる道が見つかったらいいなと思います。
でも、「気持ちよ、軽くな~れ」と言ったって気持ちは軽くなるわけじゃなし、もはや心の中は「ああぁぁぁぁぁ~」です。苦しみの渦中にいる人は「あ゛ああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁ~~~」くらい? もっと?
だけど、一生、死ぬまで「あ゛ああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁ~~~」 が続くわけじゃないので、希望を見い出すことはできなくても、少しでも心地好い瞬間を感じられたらいいですね。「心地好い」じゃなくて「無」でもいいと思います。だって苦しくないってだけで素晴らしいから。
こうやって思っていることをバババーっと書き出してみるのも悪くないですよ。深く考えず、呼吸をするように書く。手をとめちゃダメ、読み返しちゃダメ、消しちゃダメのルールで。
私がそれをテキストエディタを使ってやると、「うー」とか「わー」とか「キエェェェェェェーーー!!」みたいなわめきで埋め尽くされます。多分それでいいんだと思います。吐き出すことが大事だし、他のことに意識が向いていれば多少は苦悩の配分が少なくなるから。それに、自分しか見ないし。
最後にもうひとしゃべり
そんなこんなで、「あなたとのお茶会」を書き綴る回、いかがでしたでしょうか。
私が何も考えずに書くと、延々に続いてしまうことがわかりました。ほんとにくっちゃべってるだけですね。おしゃべりクソ野郎です。でも、この言葉にできないもどかしさは伝わったんじゃないかと思います。ホント全然言葉になってないですからねー。
でも、こうやって文字を書き続ける限り、あなたとのつながりは維持できますもんね。読んでくれる人、そう、あなたがいてこそのこのブログなのです!
……あぁ、また熱量が上がってしまった。今日はこれで終わりにします。強制終了。
それではまたお会いしましょう。ごきげんよう。
さいならー。
人間関係で、頭にこびりついた嫌な感じわかります。
調子がいい時は思い出す事はなくても、落ち込んでいる時に、引っ張り出して自分を責めてより一層落ち込みます。
全てリセットして忘れたいけど、無理なんですよね。一生抱えて行くんですかね。
でも、ナミさんも、同じ痛みを抱えて頑張っている事は、心強いです。ありがとう。
おすぎさん、コメントありがとうございます。
そうですね、気分が落ち込むとズルズルと不穏な感情が出てきてしまうんですよね。自己嫌悪の底なし沼。デンジャラスゾーンです。
つらい気持ちを一生抱えていかなければならないと思うと、ものすごく重い十字架を背負った気分になりますが、その経験をどう扱うかはその人次第ですね。内容によっては専門家の助けが必要かもしれません。私にとっては己の未熟さを嫌というほど思い知るきっかけになったので、完全肯定はできませんが、バカな自分が少しでもましになって良かったなと思っています。
私のような者にこのようなメッセージをいただき恐縮しています。それでも、何か通じ合えるものがあったのなら、それはとても嬉しいことです。ありがとうございます。
はじめまして。
自分がうつ病になってそれを見てた優しい同僚に心配をかけすぎて、その同僚もうつ病になってしまいました。6年くらい前の事です。
そんな経験からか誰に対しても助けて!とは言えないですし弱音も吐けないです。
仕事を辞めてしまったので次の仕事を探さなければなりませんが、どんどん焦って鬱が酷くなりコントロールができなくなってきました。
周りに迷惑をかけてはいけない、自分は元気であり続けなければならない、助けられるべき人間ではない、とぐるぐるしてます。
早く次の仕事を決めなければ周りにもっと心配をかけてしまうのではと思ってしまいます。
通院も辛いです。自分の為に主治医や看護師さんや薬剤師さんが大切な時間を削られていると思うと辛いです。
そんな時にこのブログを読ませて頂いて、言葉にするのが難しいですがなんというかほっとしました。
不謹慎ですね。やっぱり自分はダメ人間ですが、ダメ人間だと再確認できた事で何か変われるかもしれません。
支離滅裂な文章ですいません。
ありがとうございました。
たくやさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
たくやさんは今とても苦しい思いを抱えて日々を過ごしていらっしゃるんですね。そのつらさを思うと胸が痛みます。
確かに助けを求める相手は誰でもいいというわけではないですね。信頼関係が築けていて、倒れてしまわない人。確実なのは、専門家や心の相談窓口で話を聞いてもらうことですね。同僚の方がうつ病になってしまったことは大変心が痛む出来事ではありますが、その経験がすべてに当てはまるわけではないので、その時々のベストな対応を探していけたらと思います。
周りの人だけでなく、主治医や看護師さんや薬剤師さんのことまで気にかけていらっしゃるたくやさんは本当に心が優しい方なんですね。そういう気持ちは皆さんに伝わっているでしょうし、医療関係者はうつ病がどのような病気かよく理解したプロですので、安心して治療に専念してください。「これから頑張りたい!」という気持ちが強いなら尚更、今はゆっくり休んでエネルギーを充電することが最重要だと思います。ものすごくもどかしくて焦ってしまうんですけどね。
このブログでは「迷惑をかけてはいけない」「自分はダメな人間だ」というような考えがぐるぐる巡って、溢れてしまったときのことなども書いているので、何か共有できる気持ちがあったらいいなと思います。
たくやさんの心身が少しでもラクになることを祈っています。
とみです。
上手く書けませんが、なみさんが大変な思いをされて苦しみ抜いて、なみさんの今があるんだなと思いました。
僕は今、最高に苦しいです(笑)うつ病、夜勤、同居人とのルームシェアゆえに帰るに帰れない。いや、うつ病の症状と元来の優柔不断ゆえに決断出来ない不甲斐ない自分との葛藤。不安で苦しくて。でも我慢してしまう自分。
「今も黙って画面を見つめている。」
まさにその通りで泣けてきます。
この苦しみは乗り越えられるのか押し潰されそうになります。
勇気が欲しいです。心の底から。でもうつ病だとわいてこないんですね(笑)
出来ることをやろうと、バナナと牛乳を食べるようにしてます。セロトニン増やせば、少しは改善されるかなと思いまして。
僕はなみさんのブログの中にあった、「今年の目標は生きる」と「不安なときは今日を乗り切ることだけ考える」(タイトル違ってたらすいません。)が好きです。苦しくて、でもバイトに向かうとき、とりあえず今日を乗り切るんだ!って言い聞かせてます。なみさんの経験した事が今の僕にはとても役にたってます。ありがとうございます。
何が言いたいのか分からなくなってきました(笑)僕もお喋りクソ野郎ですね。
とみさん、コメントありがとうございます。
苦しみは人と比べられるようなものではないのですが、とみさんのお話を聞いていると、私の経験なんて屁の河童という気がします。とみさんが苦難と闘う姿は高尚なものに感じられて。
勇気もなく苦しみを回避している私がこのようなメッセージをいただき恐縮するばかりですが、とみさんのお言葉はとても嬉しいです。
以前のエントリーも読んでくださってありがとうございます。挙げてくださった2つの内容に共通するのは、「未来のことは誰にもわからない」ということ。私たちには、明日のこと、1時間後のこと、1分後のこと、1秒後のことさえわからないんですよね。当たり前なのに忘れてしまいます。
だからこそ「今」、バナナと牛乳を摂取する! 素晴らしいと思います。バナナっていろいろな栄養素が含まれてるんですよね、確か。絶対健康に良さそう。しかも美味しいし。
今はただ、とみさんの苦しみが少しでも和らぐことを祈るばかりです。どうぞお大事になさってください。
人間関係、むずかしい問題です。
もはや哲学です。
だからといって人間一人では、生きては、いけないので、どうしても人とかかわらないと、いけない。
傷つきながらも一歩一歩足を踏みしめながら前進するしかないでしょうね。
傷ついたら、ナミさんのブログで癒してもらいます。
あたまさん、コメントありがとうございます。そんなふうに言っていただけて嬉しいです。
本当に人間関係は難しいですね。
最近は一人でいるときほど他者の存在を強く感じます。この世界において、完全な「孤独」というものはないのでしょうね。
世知辛い世の中を飄々と生きていく術を身につけたいものです。
あたまさんのまたのお越しを心よりお待ちしております。
トモさん、はじめまして。
私もちょっとだけ吐き出させてください。
先月、うつが原因で仕事を辞めることになり、通っている心療内科からうつじゃなくて双極性障害じゃないかと言われはじめ、
どうなるんだとちょっと混乱している状態です。
「何とかしなければ」と「もうどうでもいいや」を行ったり来たりしています。
今回の記事はずっと人間関係に悩まされている自分にとってどこかホッとするものでした。
トモさんみたいな人が身近にいたらな、と感じます。
実際に相談できたかはともかく、理解者がいるだけで気持ちが全然違ってきますので。
真面目すぎるとよく言われましたが、真面目ってそんなに悪いことなのか?と悲しくなります。
時代であったり、職場との相性もあるんでしょうが…。
今はこれからの生き方を再考しています。
いろんなことが上手くいかない時間が長く続きちょっとしんどいですが、
ナミさんの考え方等を参考にちょっとずつ良くなっていこうと思っています。
お体に気を付けて、長くブログを続けていただけることを願っています。
すみません、ナミさんなのにトモさんと書いてしまっています(汗)
失礼しました。
しゃもさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
なるほど。私もうつ病から双極Ⅱ型に診断が変わったときは戸惑いもありました。でも、行き詰まりを感じていたときだったので、新たな可能性と別の選択肢を示してもらえたことはありがたかったですね。しゃもさんの治療が良い方向に進むことを願っています。
そうなんですよね、理解してくれる人がいるだけで気持ちは随分違います。
人の気持ちを理解するのは難しいものですね。理解を求めるのをやめると、こちらの真意が伝わるということもあって、人の心は面白いものだなぁと思います。
真面目は全然悪いことではありません。きっと全体のバランスと柔軟性が必要なんでしょうね。これまた簡単ではないことで、まぁ、それなりにやるしかないですね。
お心遣いありがとうございます。しゃもさんもどうぞご自愛くださいませ。