『持たざる者』の鬱描写と孤独感・切迫感を味わう

学生時代を思い出す。あの頃、一人暮らししていた部屋も六畳一間の安アパートだった。でも、自分にあったのは全能感と欲望と好奇心だった。今の自分には、不能感と憂鬱しかない。欲しいものもない。知りたい事もない。やりたい事もない。食べたい物もない。何もない。ただ本能に任せて仕方なく食べ物を食べ、排泄し、寝て、頭に不快感を感じるようになったらシャワーを浴びる。(p.6-7)

小説『持たざる者』(金原ひとみ著) の序盤で語られるこの感じ、抑うつに悩まされている者としては、あるあるでしょうか。

私は「めっちゃわかるー」と思いました。

今の自分と過去の自分が違いすぎてどんより、欲も好奇心も失って放心する状態。さまざまな可能性を感じてパワーをみなぎらせていた自分はいずこに。

と、共感したところで自分の直面する現実がどうなるわけではないのだけれど、「そうそう、それそれ~」と言葉やストーリーとして捉え直すことで、感情を解放することができます。結果的に、心が軽くなることもあります。これがカタルシスというやつでしょうか。

しかしながら、この小説の登場人物達は自分とは違いすぎました。

すべて読み終えて、自分がいかに持たざる者であるかを思い知らされることとなり、「私という持たざる側の読者がいて完成されるのが『持たざる者』という作品なのである」と阿呆みたいに独りごちるのでした。この話はそういうことが言いたいんじゃないんだっつーの。

自分のことはさておき、ぐいぐいと引っ張られるように読みました。というか読まされました。読み始めるとなかなか止められなくなる感じ。

金原ひとみさんの小説は初めて読んだのですが、面白かったです。余白というかブレスが少なめで、柔らかなオブラートを突き破りそうなギザギザ感というか、切迫する感じがクセになります。

といっても、あまり小説は読まないので、他の小説もこんな感じと言われれば、そんな気もするし、よくわからないのですけれど。

『持たざる者』は震災を機に生活が変わった人たちのお話。

タイトルと装丁に惹かれて手に取りました。カバー作品は「A.N.のリビング・ルーム、地震の予感」、竹村京さんの作品。正直アートというものもよくわからないのですが、何かググッと惹きつける力があるような。実物を見てみたいなーと思いました。

『持たざる者』では、虚無とか、孤独とか、「自分って何?」みたいな、周りからは見えない各人の感覚が一人称で語られます。

……そう、小説って、人それぞれのしんどさとか地獄とか(あるいは楽園とか)があるんだなーということを知れるからいいですね。追体験で世界が広がります。葛藤して成長していく姿を見るのは気持ちが良いし、学ぶところも多い。というか単純に面白い。

『持たざる者』で描かれる切羽詰まった感じとか、薄ら寒い感じとか、沸騰しそうなくらい腹が立つエピソードは、読んでいてうわぁ~となるけれど、それもまた気持ちの解放になっているのかなとも思います。

そういうものを体験するために、最近いろいろな小説を読むようにしています。後回しになりがちなので、半ば義務感で。そう言いながらも読み始めると楽しめますね。

けれど、小説を読むのに必要な筋力ってあるのかなと感じます。私にはそれが足りないようなので、少しずつ鍛えてきたいところです。ただ抑うつがひどいだけ、という場合もありそうなので、そういうときは休み休み。

さまざまな人の言葉に接することで、また新たな世界が開ける気がします。

それってなんか素敵ですよね。

もっといろいろ覗きたい。創作の世界は覗きたい放題ですものね。

 

 

過去の小説感想エントリもあります。よろしければどうぞ。

【白っぽい表紙の小説】
うつ病療養中の共感『ラジ&ピース』読書感想
俗世からの解放タイム!『タタド』式スキンケアが気持ちいい

『タタド』の単行本の表紙も似たような雰囲気だったよね……と思って確認したら、あまり似ていませんでした。白が基調というだけで。記憶は改ざんされますね。

1 COMMENT

あたま

更新ありがとうございます。
今回の記事を読んで、パッと頭の中に村上龍のコインロッカーべイビーズを思い浮かべました。
理由は、わかりません。
ただなんとなく。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です