イライラしたり激しく動揺したり不安になったりする理由

ヘッドホンとスマホ

死にたいほどにつらい気持ちを伝えたら、相手が怒ったように声を荒げた。

そんな経験はありませんか?

勇気を出して話したのに、拒絶されたらショックですよね。

でも、それはあなたを否定したわけではないと思います。人は、知らないことや自分の価値観を脅かすような事柄に出会うと動揺してしまうものだからです。

今日は、わからないことに対する不快感や動揺したときの反応について考えます。

……というのは全部後づけで、ある日出会った愉快な人たちの話です。

そのときの状況を思い返しながら書いていて、めちゃ面白いなーと思いました。というわけで、前半は超どうでもいい話ですが、後半はまじめに書きましたのでよろしくお願いします(何を?)。

デカい声で電話するオジサン

図書館で電話に出るおじさんがいました。

人が少ない奥まった場所でした。

鳴り響く着信音とおじさんの大きな声。

電話の向こうの奥さんと思しき女性の声まで聞こえます。これまた大きな声なのです。

「はい、もしもし」
『あ、もしもしお父さん!? 今どこ!?』
「あー今、図書館」
『ご飯は? カツを揚げようと思うんだけど?』
「うん、今から帰るから、おん」
『はい、それじゃ食べるのね。じゃあ△◆○※☆……』
「はい、はい、うん、はいはい、はい、はいー」

普段だったら、「うるさい!こんなところで電話すんな!!!」とイライラするところですが、このときはむしろ愉快な気持ちさえありました。

もちろん最初はやかましい着信音とおじさんの声にイラッッッとしました。内容もイライラを増長。「カツ揚げるかどうかで電話すんなよ」と。

でも、考えました。奥さんは夫に熱々のおいしいカツを食べさせてあげたいのかもしれない。だとしたら、帰宅のタイミングを確認したくなるのも当然だ。もしすぐに帰ってこなかったら、せっかく揚げたカツが冷めてしまってもったいない。ほんで、おじさんはおじさんで奥さんの話を遮りにくいのかしら? 尻に敷かれているのかしら? でもきっと奥さんはいつもご主人のことを気にかけているのよね……などと考えたら、なんともまあ微笑ましい。(ご主人、奥さんという呼び方はあまり使いたくないのですが、このニュアンスを表せる言葉が見つからないのであえて使いました)

そんなこんなで、全然緊急ではない揚げカツの話を静かな図書館内でしていること、めちゃ声がデカいこと、電話の向こうの奥さんの声まで全部筒抜けなこと、これらの要素が滑稽さを生み出し、私を愉快にさせたのでした。

まあ公共の場所で電話すんなとは思いますけど。

電車で「抱いてセニョリータ」を聴く男に苛立たなかった理由

おじさんが立ち去ってから、書架の前でぼんやり考えました。

なぜ普段感じる不快感がなかったのか?

それは多分、電話の向こうの声がよく聞こえ、会話の内容がわかったからです。

公の場所、例えば電車やバスで電話する人はうるさいからやめてほしいと思います。お友達と大声でおしゃべりしている人もうるさいからボリュームを下げてほしいと思います。

どちらもうるさいのは同じ。でも、電話の方がより不愉快です。

なぜ?

電話の場合は、どんな話をしているかわからないからイライラするのかもしれません。緊急っぽい話なら事情を汲むことができるし、どうでもいい話だとわかれば「非常識な人だ」と処理すればいい。そういう点で会話丸聞こえはラクです。

交通機関の例でもう一つ。イヤホンから音楽が漏れてシャカシャカ鳴ってる人いますよね。この場合はどうでしょうか?

これもどんな音楽か丸聞こえだったら、イライラ度が下がるかもしれません。

10年程前の話ですが、電車の中で音楽を聴いている男性がいました。確か高校生か大学生くらいの人だったと思います。

彼はすまし顔でカッコつけていたのですが、彼のイヤホンから流れてきたのは山下智久さんの「抱いてセニョリータ」。リピート再生でずーっと聴いていました。ジーパンのポケットに親指を突っ込み、ドアにもたれかかり、すかした感じを維持したまま。

彼は何を思ってこの曲を聴いているのか、何か目的があるのか、余興で踊るのか、音漏れに気づいているのか、もし聴かれていると知ったらどんな反応をするのか、あるいはわざと聞こえるようにボリュームを大きくしているのか、だとしたらそれはそれで僕は何を思えばいいんだろう僕は何て言えばいいんだろうとイエモンの「JAM」が頭の中で同時再生され混線みたいな状態に。

別に山Pや「抱いてセニョリータ」という曲がどうのと言っているのではありません。ただ、彼の風貌とどこかミスマッチな感じがしたし、何度もくり返し「抱いて!抱いて!抱いて!セーニョリー!タ!」とか言われたらねぇ? それを乗換駅まで延々聞かされ続けた私の気持ちどんなだと思います? というお話です。

兎にも角にも、そうやってあれこれ考えていたとき、私はイライラしていなかったと思います。むしろ面白がっていた。

これはやはり彼が「抱いてセニョリータ」をくり返し聴いているとわかったからこそでしょう。ただシャカシャカいってるだけだったら、彼のすまし顔にめちゃムカついたであろうことは想像に難くありません。

わからないってストレスフル?

わからないこと。
はっきり見えないこと。
よく聞こえないこと。

一部が隠された情報を受け取るのはストレスになるかもしれません。思い返してみれば、わからないことに対してイライラすることって結構あります。

それ以外に、自分が知らないことや、自分の想定する範囲から大きく外れた話を持ちかけられたときも同様に心が不安定になってしまうのかもしれないですね。

例えば、ちょっと込み入った悩みを打ち明けたら「そんなこと知らない!」と声を荒げられたり。

例えば、通常の心理では理解が難しい凶悪な事件が起きたときに、激しく心をかき乱されたり。

また、自分が知らない病気や死が関わることも拒絶反応を起こしやすい事柄かもしれません。

自分の価値観を脅かす事実を受け入れられず拒否的な態度が出たり、動揺をおさめるために考えるのをやめるのは自然な反応のように感じます。

反応の仕方は人それぞれ違うのでしょうが、中にはそれが強い怒りとして表出してしまう人もいるようです。一部が隠れた情報に対する不快感という点では、先ほど挙げた電話や音楽シャカシャカに対するイライラも、程度の差はあれ、多少なりとも共通点があるように思われます。

だから、もし大きな問題となるようなことは何もないのに過剰に怒り出す人がいたら、その人はわからないことに動揺しているのかもしれない。という一つの可能性に思い至りました。

動揺して感情的になってしまうとき

将来の不安もそうです。

未来のことはわかりません。

わからないことは不安です。

不安な気持ちでいっぱいになると、心は落ちつきません。

さらに、現状が悲惨なものだったら、とてもじゃないけど、よくなるなんて思えません。

でも、未来のことはわかりませんが、見通しを立てることはできます。

手詰まりなら手詰まりで、不足しているものが何かはわかります。

問題点がはっきりすれば、どう対処すればいいか考えられます。

さまざまなパターンを想定することで、いくつかの現実を予想することができます。

最悪のケースについても考えれば、わからなくて不安なことが具体的になります。

洗い出したパターンの中に、ほんのわずかでも「よくなる」という可能性を認められれば、多少なりとも不安は和らぐはず。

もし悪い結果になったとしても、それも想定内となるので、激しく取り乱すことは防げそうです。

こうやって考えてみると、隠されている部分、見えない部分が多いほど不快感(不安、イライラ、モヤモヤなど)が強くなるという仮説(というほどではないですが)は、どうやら間違っていないみたいです。

最後に

図書館で電話するうるさいおじさんからこんな考えに行き着いたのは面白いですね。奥さんの「カツを揚げるか否か」の質問がなければ、ただ腹を立てて終わっていたことでしょう。

なんでもかんでもすべてが見えるわけじゃないし、わざわざ明るみにする必要のないものもたくさんあります。けれど、いつもの場所から少し引いて、全体像を眺めてみることで、心を落ちつかせるヒントが見つかるのではないでしょうか。

そのために役立つのは例えば想像力。

どんどん活用していきたいですね。

2 COMMENTS

カズ

ナミ様
こんにちは。春を近くに感じる季節になりました。ただ、寒かったり暖かかったりで体調崩しやすい時期だと思いますので、体調にはお気をつけてください。
見えないものへの不安や苛立ち。わかる気がします。今の季節は職場など周囲の環境が変わる時期でもあり、内心穏やかではありません。これも見えないものへの不安なのかもしれませんね。私はかなりのネガティブ思考なので、先行き不透明は嫌でたまりません。すぐに不安が先行してしまいます。心に余裕のある人は、先がわからない事を楽しめるのかもしれません。こんな良い事があるんじゃないか、と。ナミ様の言われる想像力で。自分もそんな思考ができたらいいなぁと、今回の記事を読みながら、そう感じました。勝負はゲタを履くまでわからない!と自分に言い聞かせたいです。少し元気が出ました。ありがとうございました。

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せり

イエモンのJAM!大笑いしました。
私もたまに、人との会話中にそんな状況に陥ります。

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