最近、テレビを眺めながら、よく思います。
画面に映っている人たちの存在を私は知ることができる。でも、画面に映っていない人たちの存在を知ることはできないなぁ、と。
表舞台で活躍する芸能人やスポーツ選手を見ていて思い浮かぶのは、病床にいる人。
病気で療養している人は、表舞台には立ちません。病院や家にいます。どちらかと言うと見えにくい存在です。
自分がその立場に置かれると、孤独を感じます。こんな状態でくすぶっているのは私だけなんじゃないか、何もできずにグズグズしている私は蔑まれているんじゃないか、みんな外の世界で頑張っているのに……!
世界からこぼれ落ちてしまった自分。私は誰も知らない世界にいる。そう感じたときの心もとなさ。何とも言い難い重苦しさがあります。
見えないものを見つけるのは難しいことです。知らない世界のことは、その人が気づくまで知りようがない。だから、どうしてもそのものの存在を無視しているような感じになってしまいます。実際には無視しているわけでも、ないがしろにしているわけでもないのだけれど、そのものが存在していると知らない以上、それをあるものとして扱うことはできない。
そんなふうに考えているうちに思うのです。
私は誰も知らない秘境の地にいるんだ!
……ちょっとワクワクしません?
サッカーボールとチーズを想像しないでくださいと言われてももう遅い
見えないものは、存在していないように感じます。目に見えるもの、知っているものがすべてのように感じます。
隠れているものはたくさんあります。目に見えるものの方がはっきりとした情報を与えてくれるから、全体の多くを占めているような気がするけれど、きっと目に見えている部分の方が少ない。断然少ない。いや、半々かな?
目の前にサッカーボールがあります。
表面はよく見えます。でも、その内側がどうなっているかは検討もつきません。中には空気が入っていると聞いたことがあるから、それらしいものを想像することはできるけれど、サッカーボールを見たときに、その内側の空気を見ることはありません。いつも表面しか見ていない。
隠れているものの存在を忘れないでいることは、とても難しい。中の空気がなければ、サッカーボールはサッカーボールとして機能しないのに。
でも、言葉にすることで、見えなかったものを自分の世界に生み出すことができます。思い描いたものは見える。実在していなくても見える。いや、空気はやっぱり見えないんですけど、言葉はその存在を示してくれます。
もしかしたら、表舞台で活躍する人の何百倍もの人が暗い暗い穴蔵の中から恨めしそうに、華々しく活躍する人を眺めているかもしれない。穴ぼこだらけの世界。チーズみたいな?
そんなイメージを浮かべてみるとちょっと楽しい。真っ暗闇の絶望しか感じられない世界は、実はチーズの一部だった。んなバカな。
ってコレ何の話?
まったく必要ないのに、サッカーボールと穴だらけのチーズを思い浮かべちゃったね、あはは、すごいね、という話。
世界一おもしろいゲーム
存在しているのに絶対に見えないものがあります。物質ではないもの。例えば、匂いとか音とか感触とか。考えや気持ちも見えません。あと風も。
愛や心が大事だと多くの人は言います。
そう、物質だけでなく、目に見えないものも大切な要素。世界を形作るために欠かせない存在。
だけど、私はそれを忘れます。
見えるものがすべてのような気になってしまいます。お札や硬貨をせっせと集めてしまいます。
世界を形作っているのはアレやコレやソレ(例えば「大地や生物や天体」など)。アレやコレやソレは、自分が見知っているもの。知らないものや忘れたもの(アレやコレやソレ以外のもの)を指し示すことはできません。そりゃそうだ、知らないんだから。忘れちゃったんだから。指し示すことができないものを存在していると自覚するのは難しい。
でも、ある。
間違いなく、存在している。
だから、みんな一生懸命それを形にしようと表現活動をするんでしょうね。つかめないものを必死につかむ。つかめるわけがない。だって、触れられないんだから。そうやってワッショイワッショイやっているうちに自分がどこにいるかわからなくなる。そんなクソゲー。いやいや、これはものすごく面白いゲームです。私も暗い穴蔵の中で一人楽しんでいます。
あなたは今どこにいますか?
テレビやネットを見たり、本を読んだり、友達と話したり、街行く人を眺めたり……。情報はあちこちに転がっています。たくさんの情報を拾い集めているうちに、のみこまれます。溺れます。あぁぁ、息ができない。
そうやって知った世界は、全体のごく一部。
だから私は見えない世界を想像します。
笑っている人の後ろで困っている人がいるかもしれない。立派にそびえる建物の物陰でしおれる草木があるかもしれない。そんなものはないかもしれない。
わかりやすく見えているものがすべてではない。
インターネットを使っていると、何でも知ることができるような気分になります。でも、絶対に調べられないものがある。それは何? と聞かれたらうまく答えられないけれど、ネット上に存在しないものが確かにあることは断言できます。そんなことわざわざ言うまでもない当たり前のこと。でも、私にとってはビックリすることです。だって、私はすぐ忘れるから。ついつい見えているものが世界だと錯覚してしまうから。そうじゃないとわかっているつもりだけど、実は全然わかっていない。そんなことばかりです。
だから、今、世界のどこかで私が打ち込んだこの文字列を受け取ってくれているあなたのことを一生懸命想っています。
すぐ忘れてしまうからこそ。
人間(私?)ってほんと困った生き物ですね。
せめて、自分は目に見えない大切なものがあるってことをすぐ忘れるおバカさんだよ、ということだけは覚えておこうと思います。
こんばんは、と同時にごめんなさい、いまいち私には、わからない話でした。読解力なさを痛感しました、で、ぜんぜん関係無いのですが、今日、鰹のさしみをたべました、以上です。
あたまさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
わけわからないことを書いてすみません。文章の下手さは自覚しているのですが、難しいですね。少しでもましになるように精進します。
ぜんぜん関係無いのですが、今日、氷室饅頭をたべました、以上です。
ナミさん。おはようございます。とみです。
僕は役者を目指して12年前に上京しました。12年夜勤やりながら学費を稼いで養成所を受けて落ちたり、演劇勉強して再度挑戦して手応えを感じてはいたものの届きませんでした。
それが3ヶ月前。だんだんと体調を崩し抑うつが再発。うつになるメンタルだと、あの厳しい世界ではやってけないだろ。やれてもいずれ僕は抑うつになるだろう。
そう思い夢を諦めようとしてます。すると途端に、何をしていいか、演劇しか見てこなかったから何をしたいかも分からず、只苦しさと不安と辛さが続いてます。
今は少しだけ楽です。でもナミさんの話しにもあった。表舞台にたつ人の事を見たりすると堪らなく苦しくなります。。
成功者の影には沢山の失敗した人が居る。まさに僕もそれ。妬みたくない嫉妬したくない。被害妄想なのに考えてしまう。
少しだけ辛いのが長く続くととても辛いですね。
今回のテーマは僕には響くものがありました。ありがとうです。
とみさん、コメントありがとうございます。
そうでしたか、本格的に活動されていたんですね。働きながら夢に向かって挑戦を続けてこられたこと、素晴らしいと思います。なかなかできることではありませんし、ただただすごいなぁ~とうなるばかりです。
体調を崩したことで思うように活動できなくなるのは悔しいですね。そんなとき、キラキラ輝いている人の姿はまぶしすぎて目がつぶれそうです。
私なんか妬んだり嫉妬してばかりですよ。以前はそんな自分が嫌で仕方ありませんでしたが、今は嫉妬している自分を無邪気で可愛いと思えるようになりました。当然、不快感はあるんですけどね。「○○になりたい」ではなく、「○○がしたい」に切りかえてから、気持ちがラクになったようにも思います。
今のとみさんだからこそ表現できることがあると思います。それが演劇なのか、どのような形なのかはわかりませんが、必ず次につながるはずです。
ゆっくりじっくり充電して、一歩を踏み出していけたらいいですね。どうぞお大事になさってください。
ありがとうございます。本当にうれしい。
私も療養と称し、社会的な仕事を休んでいる影生活を送っています
目に見える頑張っている人たちと比べてしまい焦りを感じていますが、今自分は見えない病と闘っているんだと思うようにしました
朝早くから夜遅くまで頑張っている旦那を見て、表舞台に立てない自分を悔やんだときもありました
でも、影=縁の下の力持ちというように、光の世界に立つ人たちのサポートができるよう、自分でできる範囲で旦那の生活を支えようと思えるようになりました
(薬のおかげでもあります)
いまだ苦手な家事もあります(特に料理)
貯金通帳を見て溜め息つくこともあります。
が、今働いてヘトヘトになりご飯を作れなくなることより、ご飯を作っておかえりと言って迎えられるほうが旦那もうれしいのかなと思います
長くなりましたが、ナミさんも同じ影生活で苦労されていると思います。
ですがブログを立ち上げてくれたことで、私たちに光をくれていることを忘れないでください
上から目線になりすみません(笑)
ナミさんは縁の下の力持ちさんです!
ブログを作ってくれてありがとうございます(*´ω`*)
焔さん、コメントありがとうございます。
身近に頑張っている人がいると、どうしても比較してしまいますよね。焔さんがおっしゃる通り「縁の下の力持ち」は欠かせない存在です。そんなふうに思えることは素晴らしく、大切な人を支えていこうとする焔さんの気概や優しさ、ぜひ見習いたいところです。
私は苦労したというよりいろいろ恵まれていてラッキーだったんだぁと思っています。本当にありがたい限りです。
このようなあたたかいメッセージをいただき、心から感謝しています。
季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいませ。