人生二度目のヘアドネーションに行ってきました。
【関連】死にたい私に生きる目的を与えてくれた「ヘアドネーション」
ヘアドネーションとは、ヘア(髪)をドネーション(寄付)すること。
NPO法人JHDAC(ジャーダック)という団体が行っている活動で、寄付した髪は医療用ウィッグをつくるために使われます。この医療用ウィッグは18歳以下の子供たちに無償でプレゼントされているとのこと。
公式サイト:Japan Hair Donation & Charity
前回ドネーションしたのが2013年11月。それから一度ショートにして、その後はずっと伸ばしてきました。期間は3年ちょいですね。
長い部分で40cm強あったので、伸びる早さは1年でだいたい13cmくらい? 1か月で約1cm伸びると聞いたことがありますから、まぁそんなもんですかね。平均よりちょっとだけ伸びるの早い方かな?
ばっさり切ってかなりスッキリしました。何が良いって、髪洗うのと乾かすのがめちゃラク。さらに、自分の髪を寄付することで、誰かが笑顔になれるのかなと思うと、ちょっと嬉しい。善行を積んだ気になってニコニコしています。
賛同美容院でカットして思ったこと
今回は、初めての美容院でカットしてもらいました。お店の雰囲気も良く、美容師さんも感じの良い人だったので、心にダメージを負うことなく過ごせて一安心。
ヘアドネーションするにあたって、JHDACの賛同美容室の一覧ページを見たのですが、賛同店が激増で胸アツ。
誰かのためになることをしようと思っている人がたくさんいるんだなぁと思って、温かい気持ちと心強い気持ちに包まれました。
毎日しんどいなーと思いながら過ごしていると忘れてしまうのですが、世の中に優しい人はたくさんいるんですよね。
で、ふと思ったのですが、美容院を探している人は、JHDACの賛同美容室から選ぶのも一つですね。
こういう社会貢献活動に参加するような美容室は、きっと顧客の気持ちも大切にしているんじゃないかなと思います。
よくよく考えたらありがたいことですよね。カットした髪を送るのにも手間とお金がかかるし、忙しい営業時間の合間に儲からないメニューを引き受けることは、お店側にメリットはありません。お店のイメージアップをはかる目的があったとしても、好意的な気持ちがないとできないことです。さらに、ヘアドネーション特典を設けているお店もあって、その心意気、素晴らしい。
美容院のヘアドネーションメニューが当たり前になる日が来ることを願いつつも、その日が来るまではこの評価基準が役立ちそうです。
髪を寄付しようと考えた理由
私が髪を寄付しようと思ったのは、あまり前向きな気持ちからではありませんでした。
・お金がない
・美容院に行きたくない
・死にたい
これが当時の思い。
髪型を整えるお金がもったいないし、美容師と会話したくない。そんなことよりさっさと死にたい。でも、死ぬわけにはいかない。でも、死にたい。でも、死ねない。
そんなとき、ヘアドネーションという活動を知りました。
その頃は本気で自分のことをゴミみたいに思っていました。燃えるゴミの日がくるたびに私もここに捨てたいなって。
それで、使える部分だけでも誰かに使ってもらえたらいいかもしれないと思って、臓器提供について調べていました。でも、臓器を提供するまでのプロセスはかなり大変です。倫理的なこともよくわからない。とてもそこまでの行動を起こす気力はありませんでした。
そんな私の心をとらえたヘアドネーション。
人の役に立てるかもしれないという希望は、死にとりつかれた私に力を与えてくれました。
「死ぬのは髪を寄付してからにしよう」
そうして、とりあえず髪を伸ばす期間は生きることにしたのでした。
途中「これってただの自己満足なのでは?」という疑問が浮かびましたが、支援活動をしている方々の思いを知るにつけ、「人の役に立ちたい」という純粋な気持ちは大切にしていこうと思い直しました。
生きる意味がないからこそ
そうして髪を伸ばしている間に、重いうつ症状は少しずつ和らいでいきました。それに伴って「寄付してから死ぬ!」という決意も不要のものになりました。
それでもヘアドネーションが私に与えてくれたものは大きくて、いまだに「死ぬのは髪を寄付してから考えよう」という意識は自分の中に生きています。
ヘアドネーションは、私に生きる目的を与えてくれたのです。
目的があるってことは強いですね。何のためにゴールへ向かうのかわかっていると、最後まで走りきることができます。だから、目的は大事。
たいそうな目的でなくとも、目的を見つけられるだけですごく有り難いことだなぁと感じます。だって、どうせみんな最後は死ぬと思ったら、目的なんて何の意味もなく思えてしまうじゃないですか。別にそれでもいいんですけど。
でも、無意味な毎日を過ごすのは結構大変。だから、自分をうまいこと騙した方がいいし、そんな自分に騙される自分になった方がラク。
もっと素直な言い方をすると、「誰かの役に立てるかも」と思えば、前向きになれる。
私にそのことを気づかせてくれたのがヘアドネーションでした。
髪を寄付するといっても、私の方が与えられているような気がします。
自分を大切にすることは難しくても、誰かを大切に思う心を持っていれば、何とか生きていけるのかなと思います。
誰も大切に思えないときでも、自分が大切にしたいと思える人はいると信じたい。
世界は広いですからね。
誰かの役に立ちたい。
誰かのために生きたい。それが自分の生き甲斐になりますね。なみさんの以前のブログの言葉で自分なりの小さな幸せ、を思いだしました。
生前、三島由紀夫が人は、自分のためだけに生きるには、限界がある、そこで大義というものが必要になってくる。と言ってました。でもちょっとスケール大きすぎますね。余談でした。
とっても素晴らしい活動だと思います。
「生きる意味がないからこそ」の文章は、こころにじんわり響きました。
わたしはずっとショートヘアで過ごしてきたのですが、
ちょっとやってみたいかも、と思いました。
肩以上伸ばした経験がないのですが、行きつけの美容師さんにジャーダックのホームページを見せて、相談してみようかなと思います。
ナミさん、わたしは笑顔ですごしています。
つらいときも、なるべくニッと笑うようにしています。
(ナミさんの過去の記事にもありました、「ウィスキー」です)
ナミさんもご自愛くださいね。