「努力は必ず報われる」と信じていた私が学んだこと

夕陽に向かって走る少年

私は努力教の元信者です。

「努力は必ず報われる」

この言葉に励まされて頑張ってきたことがたくさんあります。

そして、学びました。「努力は必ず報われる」とは限らないということ。そんなの当たり前と言われるかもしれませんが、かつての私は割と素直に「努力に勝る天才なし」のような言葉を受け入れていましたし、頑張らないことは悪だと信じていました。

ベートーヴェンはこう言ったそうな。

努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。

成功者が「努力は報われるんだと思いました」と語る。それを聞いて私は思う。

「私が報われないのは努力が足りないから?」

否。

例えば、オリンピックで金メダルを獲れるのは一種目につき世界で一人だけ。メダルを獲ることが報われることなのだとしたら、メダリスト以外は全員報われないことになってしまいます。

オリンピック出場者はみんな努力している。でも、誰より多くの練習量をこなしていても、結果が出ないこともある。

努力は必ず報われるとは限らない。

「どう頑張るか」「どんな結果を求めているか」が曖昧だから、満足感が得られない。ゴールを高く設定しすぎているから、「まじめに頑張ってるのに報われない」と落ち込む。

誰のこと? 私のこと。

 

だけどやっぱり「努力すれば報われる」

一生懸命やっても結果を出せないことはある。

でも、成功ではなかったとしても、「頑張れた!」という充実感は何物にも代えがたい収穫。

ムダな努力だったと後悔しても、何もしていなかったら経験値を積むことさえできなかったわけで。報われたと感じられなくても、次の努力で実を結ぶ可能性を高めているとは言えそうです。

それでも自分は報われないという嘆きが拭えないならば、成功への思いがかなり強いということ。そういうモチベーションは素晴らしい。でも、残念ながらできないものはできない。こういった強い思いが「執着」になってしまうと、自分を苦しめることになります。

「頑張れた!」という事実に満足できること。

成果を出すことと、「頑張れた!」と満足することは違うけれど、努力したことで得た経験は次に活かしていきたいものです。

 

見返りを求めず熱中したい

「こんなに頑張ったのに! どうしてご褒美もらえないの?」

見返りを求めていると、それが叶わなかったときにガッカリしてしまいます。

「こんなに頑張れた! 嬉しい!」
「うまくできた! 楽しい!」

引き算ではなく足し算で、その瞬間を楽しみたいものです。

とは言え、ご褒美(財産や地位や名誉)を手に入れるために頑張ることだって素晴らしい。「社長になる」「億万長者になる」は目標も明確でわかりやすい。

でも、本気の望みを叶えられなかったら? 崩れてしまわないだろうか?

そんなとき、「こんなに頑張れた! 嬉しい!」が活きてきます。努力すれば成功するわけじゃないけれど、努力した事実が自分を支えてくれる。「努力は必ず報われる」ってそういうことなのかな、と。

できたことを数えよう。
今をもっと楽しもう。

 

うまくいかないのは努力の仕方が間違っているから?

頑張ったのにうまくいかなかったのは、やり方が間違っていた可能性があります。

作戦が良くなかったのかもしれない。
分析が足らなかったのかもしれない。

スタンドを立てたまま自転車をこいでいたのかもしれない。
テスト範囲を間違えて勉強していたのかもしれない。
職人気質なのに営業職に就いたからかもしれない。
砂糖ではなく塩を入れたのかもしれない。
道具が壊れているのかもしれない。
目的地を間違えているのかもしれない。

間違えたまま頑張ったら、ますます成功からは遠ざかります。努力すればするほど報われない、なんと悲しいことでしょう。

適宜、軌道修正をすること。成功者・経験者に学ぶこと。

“私”は自分チームの監督だ!

 

今、必要な努力とは?

病気で仕事ができなくなってから、私は「努力」という言葉を使わなくなりました。はじめのうちは頑張れない自分が受け入れられなかったし、早く「普通の生活」を取り戻さなければ! と焦っていました。

でも、できないものはできないし、自分が本当に求めているものは何か考えてみたら特に何もない。私はただ人から与えられた目標をこなそうとしていただけ。嫌われないように「できない自分」を隠して。

今思えば、「努力努力努力!」という勢いの割に中身が伴っていませんでした。THE 空回り☆ 量をこなせばいいってもんじゃないし、長い時間取り組めばいいってもんでもない。

今は「気づいたら頑張れてた」がベストだね、と思っています。

あとは、長い目で見ることも大事なんだなーとか。

SEAMOさんの歌に「負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」というフレーズがあります。まったくその通りで、生きることをやめたら本当に終わりですね。

生きることを目標にすると、生きている限り毎日が成功なので、報われまくりです。って本当にそう思っているかと問われれば思っていないんですけど、やめないことって簡単なことじゃないし、それができてる自分はかなり偉いんじゃないかとは思うわけです。

つまり、「努力すれば報われる」の「努力」=「生きる」です。

生きづらさを抱えて日々を過ごしている人の苦しみを思えば、こういう言葉は何の役にも立たないのですが、生きるってことはそれだけ難しいことで、そうやって歯を食いしばって今日を生きているあなたは金メダル級だ、ということ。

他人は関係ない。どうしても目に入ってしまうし、比べると惨めになってしまうのだけれど、当たり前のことは実はものすごく大変なことなんだと気づいている人は、深みのある人間でステキだなと私は思います。

【努力】
ある目的を達成するために、途中で休んだり怠けたりせず、持てる能力のすべてを傾けてすること。

(新明解国語辞典 第五版)

ときには休んだり怠けたりすることも必要ですぞ。

 

<本日のBGM>
SEAMO 「Continue」 2008年

元シーモネーターさん曰く、どんな夢でもかなえる魔法は「続けること」だそうです。そう、継続は力なり! が、かなわない夢もあるというのが本日の学び。とりあえずは、生きることだけ「ずっとずっとコンティニュー」で。

2 COMMENTS

あたま

努力した事実が自分を支えてくれる。
イコール自分なりの小さな喜び、と、私は、結び付けました。
ナミさんの言葉は、点と点が結び付く、
ブレていない。
ブログを読むごとになにか大切なことを蓄積していくようです。

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本田 理

そもそも「努力」をしていない人などいない。
これに気付かなければいつまで経っても努力している・していないの無意味な話が続く事になる。

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