人を信じるのが怖くなったとき私が心がけた5つのこと ― 人間不信を克服するために

濡れた葉

「信頼していた人に裏切られた」
「もう誰も信じられない」

胸を切り裂かれるようなつらい悩みです。

心無い言葉や攻撃的な態度。傷つけられた心はそう簡単に癒えません。

私自身、「もう二度とこんな思いはしたくない」と心を閉ざし、人付き合いにおびえる日々がありました。

何とか傷口がふさがり、少しずつ気持ちが落ち着いてきた頃、私は人との向き合い方について考え始めました。

そして行き着いた私なりの答え。まだまだ模索中ではありますが、ここに書き留めておこうと思います。

気持ちを落ち着かせるための5ステップ

「もう誰も何も信じられない!」と感情が高ぶったとき、気持ちを落ち着かせるために私は次の5つのことを心がけました。

1. 信じられるところを探す

赤ちゃんの手

まずは、今の心の状態を知るために、自分に問いかけます。

今、自分の素直な気持ちを話せる人はいない?
誰か「ちょっと信じてみてもいいかな」という人はいない?

信じられる人がいないなら……。

人以外に何か信じていることはない?

何も思いつかないときは、呼吸に意識を向けます。そして、「『次の瞬間に吸う酸素がなかったらどうしよう!』と思ったことはないな」と考えます。

あるいは、車を運転しているとき。「反対車線を走っている車がこっちにはみ出してきたらどうしよう!」とは考えません。

たとえ目には見えなくても、空気中に酸素があると信じているから、私は呼吸の心配をすることはありません。交通ルールも「みんなが守るもの」と信じているから成り立つ。

さらに、普段の生活を思い浮かべてみます。私は「街ですれ違うサラリーマンは自分を脅さない」から出かけられるし、「コンビニ定員に殴られることはない」からコンビニを利用できる。意識することはなくても、そう信じています。世の中の人間は獰猛な野生動物ではない、と。

そうすると、私の中にも確かに人を信じる能力が備わっていることに気づきます。きっと「何も信じられない」ではなくて「信じられないと思うことが多い」だけ。

ちょっとのことですが、かなりニュアンスが違います。「信じられない」と悩むのは、「信じたい」という思いの裏返しかもしれません。

ある人はこう言いました。「誰も信じられないと思っている人は、『誰も信じられない』ということをめちゃめちゃ信じている」と。

※人に対する強い恐れによって、社会生活に支障をきたす重い症状が出ている場合は、専門家に相談することをおすすめします。

2. 信じる心を育てる

菜の花

自分の信じる力に気づいたところで、次のステップです。一つ一つ自分が無意識のうちに信じているものを探します。

具体例として、私の「信じていること」を挙げると……

  • 地球の重力(体は宙に浮かない)。
  • 裸で街を歩くのは恥ずかしい。
  • テレビから貞子は這い出してこない。

くだらなくてすみません。それでもまずは思いつくままに書き出していきます。

  • スーパーへ買い物に行って、会計時に無視されることはない。
  • 知らない人に突然ビンタされることはない。
  • 家の扉を打ち破って侵入してくる人はいない。

もちろん0%ではありませんが、こういったことを想定しながら生活している人は少ないと思います。ということは、人に対する信頼はゼロじゃない。

もし、今信じられることが1つあったとして。それが1年後10個になっていたら、かなり「信じる心」が豊かになったと言えるよね? そう自分に言い聞かせながら。

どんなに些細なことでもコツコツ積み重ねていけば、確実に信じる気持ちが磨かれていくはず。

そのためにも、「信じているもの探し」を続けていきたいですね。「これは信じられるかな?」といろいろ試しながら、宝探しの感覚で。

3. 信じたくない人は信じない

黒猫

さて、人間すべてを疑っているわけではないとわかったところで、次のステップに移りましょう。

あなたが信じられない相手は誰ですか?

家族? 友達? 恋人?上司? 部下? 同僚? 先生?

それとも、これから出会うであろう人?

どんな相手であろうと、「信じなければ!」と無理をする必要はありません。

私は「別に人を信じられなくてもいいんじゃない?」と考えています。「信じなければ!」という考えに縛られていると苦しくて関係がギスギスしてしまいそうだから。少なくとも、自分に「誰も信じられない」という考えを植え付けた相手は信じなくてもいーや、って。

実際、世の中には悪い人もいますから、だまされないよう慎重になることも必要です。盲目的になって自分の頭で考えることを怠ると、痛い目を見ることになります。というのは、私の失敗から得た学びです。

相手を見極めるために疑う。

それは人を信じるための第一歩です。

4. 予想はしても期待はしない

にんじん鉛筆

「信頼していた人に裏切られた」
「だまされて大きな損害を受けた」

そのような経験をすれば、人を信じるのが怖くなります。

「きっとこの人も私を裏切るにに違いない」
「この人は私をだますために近寄ってきたんだ」

そう考えてしまうのも仕方ないこと。

ただ、そこに「普通ならこうあるべきでしょ?」「私はこうしてほしかったのに!」という期待を寄せていると、嫌悪感が強まります。

「人としてこのような愚行は許されない」

道徳的・倫理的な観念で自分を強く律している人ほど、非常識な言動が許せないのかもしれません。

他人の思考や行動をコントロールすることはできません。

「相手の考えは変えられない」「起こったことはもうしょーがない」とあきらめる。頭ごなしに否定せず、「へー、そうなんだ」と応答する。

期待を捨てれば、気持ちはラクになります。

5.「信じる」「信じない」以外の選択をする

シーソー

親しければ親しいほど、その人の長所と短所がよく見えてきます。それゆえ、「信じられる面もあるけれど、ここだけは不信感がぬぐえない」という複雑な思いが生まれます。

信じるか、信じないか、どちらかに決めてしまえば簡単ですが、人間関係はそんな単純なものではありません。

そんなときは、答えを曖昧なままにして放置。

「信じたいような、信じたくないような……」
「信じられるところがないわけではないけど、信じられない……」

中途半端で気持ちはスッキリしませんが、これこそが一番正しい答えなのかもしれません。人の気持ちはマーブル模様。

そのまんまを、そのまんまに。

 

最後に

トンネル

大切な人に裏切られたときのダメージは破壊的で、心を粉々にします。そのつらさは経験した人にしかわからない深い悲しみに満ちたもの。簡単に癒える傷ではありません。

ただ、最近思うのは「裏切られた!」「だまされた!」という言葉がより大きな苦悩を作り出しているのかもしれないなぁということ。

そういった言葉でつらい出来事を語るたびに不適切な行為がクローズアップされて、その前後の文脈が抜け落ちてしまうような気がするんです。「裏切り」という強固な物語ができ上がってしまうような感じ。

もちろん、不誠実な人の言動を肯定することなんてできないし、それにより受けた悲しみは計り知れません。思う存分憎めばいいと思います。ただ、できる限り冷静に憎みたい。あるいは、ただ悲しみを悲しみたい。そんなの無理なんですけど、激情にのみ込まれると自分の大切な部分まで流されてしまうように感じます。それが何かと問われたらうまく言えないのですが、できることなら、ありのままをありのままに受け入れたいところです。

まぁ、それを実行できるのは、悟りの境地に辿り着いた仙人ぐらいでしょ、とも思います。「すべてを受け入れる」なんて聖者じゃないんだから。

人は簡単に変わることはできません。そのことを忘れず、ぼちぼち「宝探し」をしていきたいものです。

信じられない部分があっていいし、ほんの1ミリでも相手を肯定できる部分を見つけれられたら、それが何かのきっかけになるかもしれません。

あなたの心の痛みが少しでも和らぎますように。

4 COMMENTS

kasumi

ナミさん、こんにちは。
お久しぶりです、お変わりありませんか?

「信頼」この言葉にとても疑問を抱いていた時期がありました。高校の時です。
高校の部活(吹奏楽部)で、中学生の時とは違う楽器を担当することになりました。
けれど、ちっとも上手にならない私は周りから「いつまでもそんな下手くそだと、信頼無くすんだよね。」と言われる日々でした。
技術的な事で信頼関係を築いている人たちだと知り、どんどん練習するのが苦痛になってしまいました。
それからしばらく「信頼」なんて言葉は薄っぺらいものだなあと思ってました。
それからしばらくして「信頼」って敢えて口に出すものでなくて、感じるものだなあと思えるようになりました。
これまで信じていた仲間に裏切られたこともありました。けれど、過度な期待もすることは無くなり、本当に傷つけられた人は縁を切るようにしました。それも必要な手段だと思ってます。
フラットな人間関係を作りたいものですね。
長々と失礼致しました。

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ナミ

kasumiさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。

なるほど。「信頼」という言葉もそうですし、非物質を表す言葉を適切に使っている人は少ないですね。もちろん私も正しく使えていないのですが、kasumiさんのエピソードの部員さん? の使い方はとても悲しいです。

何の考えもなく言葉を軽んじること、心無い言葉を攻撃の道具にして人を傷つけること、許しがたい行為です。

kasumiさんがおっしゃる通り、感じることって大事ですね。内容が伴っていなければ、いくら美しい言葉を口にしても虚しいばかりです。

適切な方法でフラットな人間関係を作っていくこと、私も目指したいところです。

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あいうえと

ありがとうございます
私も、裏切られた事があり私を裏切った子は
私は悪くない!みたいに私に罪をなすりつけようとして、皆んなにも私は悪くない!っと
言い張ってでも私にはすごく多く味方がいるのですが今後の人生こんな事があったので、
心配です。どうしたら良いでしょうか

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ゆううううう

泣きながらネットを見てたらたどり着きました。
テレビから貞子・・・突然ビンタ・・・

まだ少し笑う気力残ってた。
ありがとう。

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