「私、小説って頭から読まないんですよね」
そう言われたらどう思いますか?
ちょっとビックリしませんか?
私は相当ぶったまげました。
エッセイならわかります。雑誌だと「気になるページから読むよ」って人も多そう。
でも、小説だよ?!
思わず目が覚めました。
そんな驚きをくれたのは、小説家の白岩玄さん。
亀梨和也、山下智久、堀北真希出演のドラマにもなった『野ブタ。をプロデュース』を書いた人です。
小説の読み方について、好書好日のインタビューで語られていました。
僕、小説を頭から読まないんですよ。
――え、初読の時も?
はい。もちろん仕事で読む時は最初から読みますよ。でも、プライベートで読む時はあんまり…。真ん中くらいから読むこともあります。っていうのは、映画と違って本ってそれができるじゃないですか。小説だと、あんまりストーリーとかも興味なくて、そこに書いてあるものが知りたいだけなので、バラバラに読んで最後に繋ぎ合わせたりします。適当に開いたところから読み始めて、ちょっと面白いなと思ったらその前後を読んだり。そこにある文章を楽しむんです。
――ええ、だって「ここに出てきたこの登場人物は誰だろう」とか思ったりしませんか。
それが思わないんですよ(笑)。誰でもいいやって感じなんですね。そこに書かれていることが別に把握できなくても読めちゃうというか。よくドラマとかを途中から見たりすると「筋が分からないから巻き戻したい」とか聞くじゃないですか。僕は全然思わないんです。途中から流れたらそのまま見ちゃうし、分からない時は分からないままでいいやって思うタイプなので。だから、本は結構、真ん中から読んじゃうんです。
はうあ、ロックだ……!(ロックってどういう意味?)。
いやしかし、小説を真ん中から読むという発想はなかったので、ほえ~、そういうのもありかぁ! と驚きました。何だか好奇心をくすぐられます。
まぁ考えてみれば、映画を最初から観ない(早送りする、気になるシーンだけ観る)という人もいたし、何でも最初からきっちり目を通したい派の私に「とばせばいいじゃん」的なことを言う人も何人かいたことを思えば、それほど突飛なことでもないのでしょうかね。
いずれにしても、私は驚いた。
こんな感覚久しぶりだったので、そのことがうれしくて。
というのも、10代の頃に比べると、知らなかったことに出会って感激することがすっかり減ってしまったんですよね。何となく予想できてしまうことも多くて。
まぁこんな感じだよね、こういう考え方もあるだろうね、私が知らないのはこのあたりの範囲だよね、といった具合に、ぼんやりながらもアウトラインが描けるようになって、何がわからないかも推測できるようになります。
もちろん、まだまだ知らないことだらけだし、知らなかったことを知ることで、さらにその世界の奥深さを知って興奮するみたいなことは多々あるんですが、頭をガーンと殴られるような衝撃とか、世界がひっくり返るぞ! ぐらいの勢いで心から驚くことはもうほとんどない。大抵は「はいはい、このパターンね」で回収できてしまう。
もちろんそれは、私が能動的に新たな何かをつかみにいっていないからとも言えるし、現状、意欲やエネルギーが低下しすぎて感動しにくくなっているという点はあると思うんですけれども。
そんな状態でしたから、「えっ、まじ!?」と心からビックリできたことがうれしかったんですよね。
久々の感覚に、うわぁ~ふわぁぁぁ~と酔いたくなるような、余韻がなくなるまで味わい続けていたいような、好きな人をいつまでも引き留めていたいような、とにかくこの驚きが心地よかった。「久しぶり!」と思わず笑顔になったと言いますか。
きっとこういう感覚をたくさん発生させられる人が、豊かな人生を生きられる人なのでしょうね。
「えっ、嘘!?」
「なにそれ、面白そう!」
そういう快活さを忘れないでいたいものです。
と思えただけでも、有り難いことだなと感じました。
無気力、惰性で生きている日々の中ではね。
最近読んだ白岩玄さんの小説。表紙のかわいさとタイトルにひかれて手に取りました。面白かったです。
結婚の二文字にそわそわするアラサー世代の人は、共感できる部分が多そう。「「好き」だけではどうにもならない30代の結婚を、正面からとらえて描く二編」との内容紹介、まさに。
ナミ様
お邪魔します。
私も、最後のページから最初に向かって読むことがあります。
私の場合、理由は「右手でめくりやすいから」です。
話の展開が逆になりますが「ほうほう、さっきの発言はこれを指しているのね?」みたいに、謎が解けていく感じ?
それはそれで面白い、です。
あと「斜め読みできる」というのもあります。
乱文・散文失礼いたしました。