最近、岡村靖幸さんの歌が頭の中でリピートしています。
いま頭の中をぐるぐる回っているのは、「どぉなっちゃってんだよ」。
私の人生どぉなっちゃってんだよっつってね、現状を茶化す役割を果たしているわけですけれども。
今日は、岡村靖幸さんのお歌について書きます。が、「うつ」について書いているこのブログで岡村靖幸さんの歌を取り上げるのが適切なのかわかりません。なぜなら、うつ状態だった頃には、まったく聞かなかったから。興味を持たなかったし、避けていた気もします。でも、娯楽全般を避けていたとも言えるので、そうなるとあえて特定のアーティストを除外するのも変よね、というわけで、書きます。
とは言え、ある程度調子を取り戻した今聞いても胃もたれしますし、ここで岡村靖幸さんの歌を紹介するのは、胃腸が弱っている人に「こってり豚骨ラーメンおいしいよ」と紹介するようなものかしらという気もします。でもまぁ、別に彼の音楽を聴けと強要するわけじゃないし、彼のことを知ってる人なら「わかるー」とか「それは違う」とか感じるところがあると思うので、いつものナミさんの無駄口ってことで、気楽にお付き合いいただければと思います。長いです。
ミュージシャンが憧れるミュージシャン・岡村靖幸
岡村ちゃんこと岡村靖幸さんは、「シンガーソングライターダンサー」とか「和製プリンス」とか「変態」とか呼ばれているとっても素敵なミュージシャン。
尾崎豊さんや吉川晃司さんとお友達だそうで、「おぉぉ」ってなりますよね。「おぉぉ」って。
さらに、ミスチルの桜井さんが「岡村靖幸パート2になりたい」と言ったとか言わないとか、他にも岡村ちゃん大好きなアーティストがたくさんいらっしゃるとか何とか。
「モテキ」の挿入歌でも使われたそうですね。映画もドラマも見ていないので、どんな具合か知らないんですけど、多分最高ですね、岡村ちゃん入り「モテキ」。
しかしながら、覚醒剤で3度も捕まっていて、その点は完全にNGなわけですが、今回はそれとこれとは別ですよってことでいきます。いや、でも、何と言いますか、うーむ、どうしたもんじゃろのぉ~。けど、これ言い出したら、これまでにオクスリやっちゃった人の作品をブログでたくさん紹介しているわけなので、「YAH YAH YAH」って感じでいきますね。大事なのはこれからどう生きるかです。Say Yes!
2016年に残念な私が聴く「どぉなっちゃってんだよ」
さて、いま私の頭の中では「どぉなっちゃってんだよ」がエンドレスリピートしております。
どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ
一生懸命って素敵そうじゃん
思わず口ずさみたくなります。
「どぉなっちゃってんだよ」はちょっと怒りが滲んでいるような、嘆いているような。この歌が発売されたバブル期を思えば、この感情はエネルギッシュなものなんでしょうけど、この歌を取り込む今の私は省エネモード。半ば投げやりで、自嘲的です。
人生がんばってんだよ(うん、がんばってるつもり。今までもがんばってきたつもりだったけど、未熟すぎたわ)
一生懸命って素敵そうじゃん(一生懸命やった結果がこのザマ)
みたいな。でも、続く歌詞がいい。
どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ
ベランダ立って胸をはれ
ベランダですよ、ベランダ。この規模の小ささが素晴らしい。別の箇所で「マンションマンション」と歌っているので、割と立派なベランダなのかもしれないですけど、私の頭に浮かぶのはボロボロアパートの狭いベランダです。俺にぴったりじゃないか! って。
胸をはれる生き方はできていないと思っているけれど、ベランダでこっそり胸をはることならできるかもしれない。
そんな気持ちになって、何だか励まされます。ちょっと元気も出ます。
そして、岡村ちゃんが狭いベランダで胸をはっている姿を想像して、ちょっと笑う。ちぐはぐにも思えるし、しっくりくるようにも思えます。
全体を通して「ば」をやたら強調して歌っていて、その部分は私の中で「馬鹿」に変換されるので、ある意味これは罵倒の歌。
誰を罵倒しているのか。
自分? 周囲の人間? 社会?
多分、特定の誰かに向いているわけじゃなくて、自分の中でくすぶっている何かを吐き出すような、そんな印象を受けます。と言いつつ、岡村ちゃん的には違う気もします。近所のおっさんがくしゃみをするとき「ぶへくしょーいッッ!」と余計なものまで一緒に発散するような、即時的で望まれていない装飾に共通するものを感じます。
うにゃうぬぁへねにゃ~はぁ~ンみたいな表記不能な奇声(?)に深いメッセージ性などないであろうという解釈です。ドント・シンク、フィール! 過剰装飾デコレーショーン!
私だって本当は認められたいのだ
冒頭にこんなフレーズがあります。
Hey everybody 今年の夏は誇らしいと誰からも言われてみたい気がする
言われてみたい気がするっていうか言われたいし、今年の夏に限らず、できればいつも誰からも誇らしいと言われたいけど、他者からの評価ばかりに気を取られていると、残念なことになる可能性が高いし、まずは自分で「これでいいのだ」と納得できる在り方をすることが第一。
でも、素直な気持ちを見なかったことにして、人生わかったような顔するのも違う。
自分の中の小さな名誉欲や権勢欲さえ実現できないのは弱い人だと河合隼雄先生も言っていて*1、耳が痛い。手厳しいこのご意見はごもっとも。
だから、認められたいという気持ちは大切にしていきたい。
……とか何とかぐちゃぐちゃ考えているときに、岡村ちゃんの歌とダンスに触れると、全部吹っ飛んで楽しい気持ちになります。
と言っても、心が沈んで絶望的な気分のときには、不快感しかないような気もします。というか、うつなときは何を聞いてもすべての音が騒音に感じられてしまうんですよね。つらいところです。
岡村ちゃんが教えてくれた「自己愛」の存在
私が最初に岡村ちゃんの音楽にふれたのは多分、川本真琴さんの「愛の才能」です。この曲を作ったのが岡村ちゃんだと知らなくて、「なんかこの曲好きだなー」と思っていました。で、最後の方に、すごい激しめのコーラスが入り込んでくるんですけど、もう川本さん喰っちゃってんですよね。とても印象的でした。すごいんだけど、なんか笑えるような、でも、イケイケで、やっぱりすごいな、なんだこの人、と。
そして、それから何年か経った後、岡村ちゃんのCDを入手して、一通り聴くことになります。
善悪も、酸いも甘いも辛いも旨いも不味いもとにかく全部ごちゃ混ぜな音楽。
熱心なファンの人たちが彼について語るとき、必ず「気持ち悪い」という言葉を連呼していて、いやーそういう言い方よくないよねぇ、「いい意味で」と言ったって、よくないよねぇ~と思うんです。思うんですけど、彼の映像を見た瞬間、言っちゃいますよね。
「キモッ!」
でも、これ全然けなしてるわけじゃなくて、だからといって、うっとりしてるのかと言われたら、うっとりはしてないし、めっちゃゾワゾワしながら聴き入ってるんですけど、やっぱりある意味ではうっとりしてる? あーもー何て言ったらいいのかわかんないですけど、気持ち悪いけどカッコ良い? やーどう表現したらいいかわからない。
で、ですね、実はこの投稿、1か月以上前に書いたんですけど、書き始めたら全然止まらなくなっちゃって、このブログ史上最高と言ってもいいほどのとっ散らかり具合で、こりゃダメだと思って書き直すことにしました。
で、改めて書いてみたものの、全然書ききれてないな~という気がして「やっぱやめよ」と思ったんですが、鮮度を失うともったいないような気がして、とりあえず今の雰囲気を残しておくことにしました。せっかくなら、ちゃんとこの想いを言葉にしたいと思ったのですが、こりゃ無理だなーと。そういうわけで、ちゃんとまとめるのは諦めました。
私が岡村ちゃんの歌を聴いて受け取っているものは何なのか考えてみても、よくわからなくて、でも完全に私は岡村靖幸に浸食されているわけです。これこそ「中毒性が高い」という表現がぴったり。聴けば聴くほど抜け出せなくなるような、「もういいぜ」と言ったのに、気づいたらまた手にしてしまうような。
そして、一つのキーワードにたどり着きました。それは「自己愛」。
自己愛とは、「自分という存在を無二の使命を持つ者と考え、自重自愛のかたわら研鑚に励む心情」(新明解国語辞典より)。
岡村ちゃんの歌を聴いた今の私の胸には、確かにこの思いが生まれています。厳密に言えば、「でも、めんどい」が優勢なのですが、自分の小さな名誉欲や権勢欲を満たしたいという気持ちが確かに存在していると気づくのです。
そして、一言で言い表せないものに対する魅力を再確認します。
どぉなっちゃってんだよ
「どぉなっちゃってんだよ」が収録されているアルバム「家庭教師」。これもまたすごいですね。
特筆すべきツッコミポイントは、やはり「家庭教師」の変態感からの「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の爽やかさでしょうか。
岡村ちゃんの楽曲は、真剣に聴こうとすればするほど、「この人笑かそうとしてんのかな?」と思ってしまいます。だって、やたら囁こうとするじゃん? 独特の表情とか、ねっとりした仕草とか、なに、「甘ぁーい!」って言えばいいの? 「キモーい!」って言えばいいの?
エレクトリックピアノやエコーのかかったボワワワ~ンとした響きを聴くとバブルっぽさを感じます。無駄に広がるよねぇ~って。この世代のトレンドですかね。
他のアルバムも込みでもう少し書かせてもらうと、岡村ちゃんの音楽には、いろんな音が詰め込まれていて、お菓子のバラエティパックみたいです。絶対ねるねるねるねも入ってる。
そうかと思えば、ミュートのトランペットやら渋いベースラインでムーディーな雰囲気醸し出したり、子供とかけ合いしたり、ぶーしゃかしたり、しっとり歌い上げたり。あと、野菜も入ってます。
うまい うまい うまい
元気が出ないとき、これを歌って気を紛らわしたこともありました。ナッツが聞き取れなくて「茄子だ」「茄子なわけない」「ナッツ?」「いや、ツナ」と口論したことも含めて。私の中で「茄子=おたんこなす」なので、そのイメージもまたをかし。肩の力が抜けていい感じなのです。
なんでしょうね、音と言葉のチョイスが絶妙なのでしょうか。いやー、どれだけ言葉にしても伝えきれない感じがあります。
そういう雑多な世界に触れることで、私は「これでいいんだ」と確信を得ているような気がします。多分それが、ありのままを肯定する自己愛。
この気持ちを大切に、「がんばりたい」「認められたい」という素直な感情を育てていけたらいいのかなと思います。人の評価をあてにするのではなく、自分で「OK」と言える選択をすること。それが健全な自己愛を育てるということなのではないでしょうか、という感じのまとめで、今日は筆を置きたいと思います。最初から筆は持ってないですけど。なんかまだ残尿感ありますけど。終わらないから強制終了。さようなら。
<本日の一曲>
岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」1990年
*1 河合隼雄氏が翻訳した『ユング』(岩波書店) の訳者解説より
名誉欲や権勢欲を否定して、ただ自己実現を内面的にはかりたいという人は、西洋人に比して日本人には比較的多いように思われるが、これらの人はしばしば、自分の小さい名誉欲や権勢欲さえ実現できぬ弱い人であり、それでは内面的なことにも力が及ばぬのが普通である
こんばんは。せりです。
この歌手さんは存じ上げなかったんですが、
「割と立派なベランダ」に吹き出しました。
後は頭に入らなったのですが・・・
機会があったら聞いてみます。