「今どきの若者はなっとらん」
太古の昔からある嘆きだと聞いたことがあります。
ネットを見ていても、属性を主語にして物申す人がたくさんいますよね。
私の周りにもいます。雑にカテゴライズして滔々と語る人。正直いらつきます。だからこうしてブログに思いをしたためているわけなのですけれど、すーぐ「男/女は~」とか「若者/老人は~」とか「イケメン/ブサイクは~」とかって言うの、なんなのっていうね、ちょっと鬱憤がたまることもありますのですね。はい。君の主語はほんとに超特大だなぁ!とびっくりしちゃうのです。
いや、もちろん「人による」と言ったらそこで終了だから、それじゃダメだよねって場面もあるとは思うんですけど、特定の個人と会話するときや、身近な事例について話すときに、属性で語る必要はないじゃないですか。研究者の会話でもあるまいし。
だからほんとに、雑なカテゴリ分けで雑に決めつけて語られると、もう、なんというか、なんというか……。
「あーあ、これだから人間は(ため息)」
とか言いたくなって、結果、同じ土俵に上がってしまうわけなのですが。
ってそう、私だって、雑なカテゴリで語ってしまうことはある。だから、人のことどうのこうの言えた立場にはない。
それで、どうして主語が大きくなってしまうのかということを考えるでもなく考えておりました。
語る粒度が荒くなるのは、対象のことをよく知らないから。
でも、なぜ知らない状態のまま語ってしまうのかという点が疑問です。
理由としてパッと思いつく答えとしては、
- 対象に興味がない/興味を持てない
- 対象への憎悪や嫌悪感がある
- 対象を適切に認識できない(認知の限界)
このあたり。特に自分にしか関心がない場合は、より括り方が大きくなのかもしれません。実質「私か、私以外か」になってるんじゃないか疑惑です。
「対象を適切に認識できない」に近いところでは、「わからなくて怖いから近づかない」ということもあるのではないか、という気がします。
人は未知のものには否定的な感情を抱きやすいといわれます。正体がわからない怖さ。下手に手を出したら痛い目に遭うかもしれないという恐れ。
だから、そういった恐怖や不安から安全な距離を取るために、とりあえず一般化しとこう。その心情はわかります。
そんなこんなで、対象を注視したくない/できないから、適切に個体を認識できず、主語が大きくなる。というのがとりあえずの答えです(理由は他にもありそうですが一旦ここらでまとめ)。
主語が大きくなるのを防ぐには、個別の事例に注目し、知ることが重要。
とはいっても、対象をよく見て粒度の粗さをなんとかしろっつってなんとかなるなら苦労しないって話かもしれないし、話は簡単ではなさそう。
少なくとも、一方的に相手を責めるのはよくないんだろうなと思います。
そういうことも含めて、知るってことは大事だなァという答えに行き着く今です。
「これだから人間は」わかります…
この記事の良さは「チ。」に通じるものがありますね(「チ。は結構怖いですが」)
ブログタイトルのサンタ帽かわいいですね!