言いたいことがない。
自分が主張したいことなんて何もない。
そう思うことがあります。
「じゃあなんでブログをやっているの」という話にもなりそうですが、それは「なんで生きてるの」と問うのとほぼ同じこと。えぇ? 違いますか?
引き際が大事とはよく言ったものですが、と書いてみて、本当にそうなのかなぁと首をかしげる今。
「言いたいことがないのになんでブログやってるの?」という問いに答えるとするなら、生存確認的な意味合いが大きい……って前にもまったく同じことを書いていました。
「うつのしんどさに共感したい」とか「少しでもスッキリできるようなことを書いていきたい」とかいった思いは今も持ち続けています。しんどかったときの時間稼ぎ、自分をこの世につなぎとめる言葉を探していた過去の自分を忘れない限り、この思いが消えることはないでしょう。
問題は、気力が失われていること。加齢による認知能力の低下が無視できなさそうなこと。
うーむ、受け入れるしかない……。来たれ、老化!
ってそう、駄文を書き連ねることは好きなんですよね。ただ、自分の書く文章がしょうもないな~と思って、こんなんでいいのか?と思ってしまうことが多いのです。そういうとき「言いたいことなんてない」と思う。
これはきっとすごい人と比べているからなんでしょう、知らず知らずのうちに。
ほんとにこれは困った話で、すぐ「役に立つものを」「価値のあるものを」って思っちゃうんですよね。考えるというより反応や反射に近い。刷り込みでしょうか。これ、よくない。
「意味のあるものなんてくそくらえ」の精神でいきたいところです。いや別にもっと穏やかでいいんですけどね、意味なんかなくていいんだよって。
そう、だから、「言いたいことがない」なんてことは全然ないんですよね。
自分の思いを文章にして伝えるだけの気力がない、ぐらいの意味です。
どうでもいい言葉をその辺にポイッと投げてみる、そういうのならいくらでもしたいと思えますもの。
社会構造の問題に意義を申し立てるべし、という「言うべきこと」で頭がいっぱいになったときの反動もありそうです。
そういうときこそ、無意味が必要なのでは?!
よくわかりませんけれど、意味や価値を過剰に求めるから悪い構造ができあがるんじゃないですか?! みたいなことを思わないでもないので、どんどん意味のないことを言っていきましょう、やっていきましょう。そんなところです。