地球環境問題、本当にやばいですよね。
年々、気候変動の深刻さがどれほどのものか、現実的なものとして思い知る機会が増えているように思います。
ほんとにほんとに環境問題にちゃんと対処しないとまずい。
しかしながら、私個人の問題として、環境問題について考えると死にたい気持ちが強まるので、あまり考えすぎないようにもしています。でも、無視することはできません。切実な問題だよなぁという思いが年を経るごとに強くなります。やばいよやばいよとわめきたくもなります。
「環境を破壊してはいけない」
「自然を大切にしなければいけない」
言うのは簡単ですが、自分も自然破壊に加担しています。まずはそれを自覚しないといけません。現実と向き合うのはなかなかつらいものです。自己矛盾と向き合わなければなりません。
自分の生活をふり返ってみれば、まだまだ全然。意識が低いと思います。
「できる限り、環境に優しい生き方を」とは思っても、経済的に余裕がないと、環境無視の量産品をつい買ってしまいます。
もっと変えるべきだと思いながら、何だかんだと言い訳して変えようとしない。当たり前のように得られる資源を湯水のように使っているのです(湯や水だって貴重なものです)。
変えることって難しい。私は自分勝手な人間です。
若い頃は、言ってることとやってることが違う自分勝手な人間が嫌で、自分もそういう人間だと気づくたびに死にたいと思うことが多かったですが、今は、もはやそういう次元ではない。
マイバッグとかプラゴミをやめるとか電気をこまめに消すとか、もちろんそういうことも大事。でも、それって焼け石に水。興味を持って情報に当たれば当たるほど絶望的な気持ちになります。
これだけ科学技術が発展したのだから、人類の生活を大きく変える生き方、大革命といえる発明もこれからどんどん出てくる、何か術はあるはずだ。
そういう前向きな意見を見ると、「そうだよね、絶望してるだけじゃダメだ、少しでもよくなるように考えるんだ!」と思うけれど、基本的には悲観的なので、すぐにひゅ~んと墜落して地面にめり込んでしまいます。
「39度のとろけそうな日」の歌い出しが印象的な曲が流行ったのは、私が10代だった頃。センチメンタル・バスの「Sunny Day Sunday」という歌です。キャッチーで楽しくて、思わず口ずさみたくなるこのフレーズは、ポジティブな風景を思い起こします。同時に「いやいやいや、39度ってさすがにそれは大袈裟だわ、ありえない」と笑っていたことも思い出します。
が、すでに日本の気温は39度を記録してしまっているのでした。初めてこの数字を見たとき、ショックを受けつつ何だかとても感慨深くて、軽く放心してしまいました。こんなふうに気候変動を身をもって感じてしまうってやばすぎる。さらに気象庁の観測史上の順位を見てみたら、上位20位が40℃越えでビビりました。本当にやばい。
自分は意識が低くてダメだなと思うんだけど、ダメならダメなりに少しでも良い選択をしていこうとは思っているんだけど……だけど……
矛盾を抱えて生きていく大変さ。誠実でありたいと思っても、理想通りにはできないというもどかしさ。
病みますよなぁ。
本当に悩ましい。
知らんぷりや見て見ぬフリだけは絶対にしないぞとは思っていますが……。