ラベンダーのドライフラワーをもらいました。
その人のおばあちゃんがつくったものだそうで、簡易ながらもお洒落なラッピングが施されています。
育てたラベンダーをドライフラワーにして孫に贈るおばあちゃん。
それだけで何かもう素敵な物語だなぁと思って、穏やかな気持ちになりました。
ラベンダーにはリラックス効果があるとのこと。「枕元に置いて眠ると安眠作用があるんだって~」と聞き、素直に枕元に置いて寝ています。私にとっては、ラベンダーの効用よりも、おばあちゃんと孫の物語が効果大。心に安らぎをもたらしてくれている気がします。
あるときふとラベンダーの細部をまじまじと観察してみました。
一本の細い茎に乾燥した紫色の花がくっついています。乾燥して縮こまった花びら。5mmぐらいの傘を閉じたようなロール状のものがびっしりと規則正しく並んでいます。幼稚園のときにボンボンを持って踊ったお遊戯を思い出しました。10人くらいで輪になって、その輪がいくつか形成されている状態。ドライフラワーは子供のようにエネルギッシュではありませんが、配置としてそんな映像が浮かびました。空中で繰り広げられるお小さな小さな遊戯会。
下には脱落した花がいくつも落ちています。これ一つだけで部屋に転がっていたら、虫と間違えてビックリしそうな姿。哀愁がありますね。というのは適当なコメントですけれど。
ラベンダーのドライフラワーは自然な香りがします。人工的ではない、乾いた植物の匂い。香水や柔軟剤のフレグランスに慣れている人からすれば、いい香りと呼べるようなものではないかもしれません。それがいいですね。牛の糞のにおいが漂ってきて「クサッ」と口走るときの気持ちと共通するものがあります。伝わりますかね、褒めているのでもなく、けなしているのでもありません。ただ、ありのままだなぁといった感慨です。あぁ、いい香り。
こういった自然のものを見つめていると、その小さな部分と人の存在を重ねあわせてしまいます。いま目の前にあるラベンダーで言うなら、花の一つ一つが人間。ドライフラワーの花束を眺めながらそんなことを思うと「嗚呼、弱き者たちよ」とか言いたくなります。神が戯れに下界を覗くような。この視点からしてみれば、どの花が落ちようが、どの茎が曲がろうが、結構どうでもいいですよね。もちろん、キレイな形が崩れたらもったいないと感じますが、まぁ、それも自然の摂理? よくわかりませんけど。
以前、何かの本で読んだのですが、福澤諭吉は自著の中で、地球をケシに例えていました。宇宙に存在する地球は、大海に浮かぶ一粒のケシ。人間は、このケシ粒の上に生まれて死んでいくウジ虫のようなもの。で、覚悟を持ってウンタラカンタラ、万物の霊である人間がなんちゃらかんちゃらと続きます。こんな言葉で省略したら怒られそうですが、私にとっては、人間をウジ虫に例えたところが最高だなと思って印象に残っていたんですよね。
そんなことを考えながら、ラベンダーのドライフラワーに視線を戻すと、乾燥花がウジ虫に見える! 今にもゾワゾワと動き出しそう! おばあちゃん、せっかく作ってくれたのにこんな見方してごめん! と引け目を感じつつ紫色に顔を近づけると、いい香りが広がります。その香りですべてリセット。
ウジ虫である人間は再び穏やかな気分を感じることができましたとさ。めでたしめでたし。
- ラベンダーのドライフラワーはいい香り
- ラベンダーにはリラックス効果があるらしい
- 植物の細部を観察するのは面白い
- 自然に触れるといい感じ
- 人間はウジ虫
- いい香りですべてリセット
ドライフラワー作りも楽しそうですね。人工物ではない自然に触れる作業は、心身の緊張を和らげてくれそうです。