「しんどい思いをしたくない」
そう思って日々過ごしています。ここ数年ずっとしんどいので、これ以上しんどくなるのはもう嫌。苦しみたくない。だから、できるだけしんどい思いをしないですむ選択をしたいのよ……。などと言いながら髪をいじって枝毛を発見する毎日です。
でも、このしんどさは大部分が思い込みなんだろうと思います。私がしんどいと感じるのは、理想と現実の落差に打ちのめされているから。体の各所に痛みが生じるのも全く無関係ではないでしょう。
ここで言う理想は「こうありたい(こうあるべき)」という考え方。この理想を支えるのは、生まれてからこれまでに身につけてきた価値観です。「世間の目」と言ってもいいです。「男なら○○」とか「女性らしくあれ」とか、結婚して子どもを産んで云々とか、立派に働いて社会貢献せよとか、病気や障害を忌避する感じとか、なんかそういうあれこれ。
このあれこれが正しくて、それ以外は正しくないという考え全部が思い込み。掲げる理想が違うものになれば、「こうあるべき」の中身は変わるし、「こうあるべき」という考え自体がなくなるかもしれません。
つまり、私がしんどいのは、自分の考えに自信を持てず、曖昧な答えしか持ち合わせていないから。そんなんだから私はそこかしこに溢れる情報に振り回されてしまうのです。そして、必ずしも適切ではない答えが正解だと思い込んでしまう。まったく困ったものですね。
しかも、たくさんの情報に振り回されることに疲れたとか言いながら、すぐに忘れて情報をかき集めようとする。自ら情報にのみ込まれに行こうとしているようにも思えます。自分でも何がしたいのかよくわかりません。考えていないからです。
多分これらの行動の源となっているのは、人に嫌われたくない、排除されたくないという気持ちなのだと思います。人間的、あまりに人間的でございますわね。
◆
ここまで書いたことは、自己肯定感の話にもつながるのかなという気がします。
自分を肯定できないのはなぜか。
その原因の一つは、理想と現実のギャップにうまく対応できないから。
「自分はこういう人間でありたい(あるべき)」という自己イメージと、現実の自分がかけ離れているという事実。すごく悲しい。自分にガッカリ。しかも、その落差を埋める方法を見つけられない。場合によっては、大きな溝があること自体を受け入れられない。ちゃんと向き合えないから、適切な対処ができず、溝はますます深まるばかり。
それをくり返すうちに「ダメだ~」と反応する癖がついてしまったのではないかと自分自身を鑑みて思います。
じゃあどうすればいいのか。
ギャップを埋めるためには、理想を現実に近づければいい。のですが、その答えで解決するなら苦労しません。「こうあるべき」という考えが強固だと、それを手放すのはすんごい難しいのです。
現実を知ることで、ますます落ち込んでしまうこともあります。「あぁ、私はなんて惨めなんだ……」「ほんとに情けない……」からの「ちゃんとしなきゃ」→「できない」「ダメだ」。悪循環です。
現実を受け入れるにも、「だけど大丈夫」と思える強さが必要なのですよね。この「だけど大丈夫」という確信めいたものが自己肯定感。
そう考えると、私が「できないものはできないと受け入れるしかない」と何度もくり返すのは、心から「大丈夫」と思えないから、と言えるのかもしれません。
◆
自分に期待しすぎてしんどくなっているのだとしたら、その考え方は調整したほうがいいですよね。
「一般的な基準より下回っても大丈夫」「自分にできることを精一杯やればOK」と思える強さを持てれば、自分を肯定することも自然にできるはず。
具体的にどうすればいいのか、その答えを探す旅はまだまだ続きます。
お久しぶりです。
ナミさんのブログが在って心から喜んでいます。あまり調子が良くないようで、、。
ナミさんのお話、いつも共感し、そうだなぁと新しい発見させてもらっています。有り難うございます。(*´-`*)ゞ
今回もそうだなぁ、現実を良しとする事?に強さが必要。なんか心の深い部分で。そんな事考えました。
今から睡眠薬を飲んで寝ます。
明日が良い1日でありますように。
大変共感できました。
私も日々、一般的な基準で生きられない自分の扱いに苦労しております。
人から嫌われたくない、社会から排除されたくない、そういう人間的な部分を
捨てることは難しいですね。
のたうちまわりながら今日を生きています。
久しぶりに遊びに来ました。
苦悩されているありのままの雑感が響きますね。
中々思うようにいかないのも人間らしさを感じます。
何かに興味を持って進むって、エネルギーもいるし自己肯定感を持って安定させるのも容易じゃない。
きっと誰もが大なり小なり悩んでいると思いました。言葉にしないだけで。
また遊びに来ます。
失礼しました。