怯えや心許なさをカバーするために文章を読む

本を読む女性

作家、エッセイスト、ライター、ブロガーなどなど、文章を書いている人はたくさんいます。ネットの普及で、プロアマ問わず、たくさんの人の言葉を受け取れる。愉快な時代になったものですよね。

こんなにたくさんある文章の中から、自分好みの書き手を見つけられるとすごく嬉しい。それってすごく幸せなことだと思います。

心が弱ったときに癒やされることもあれば、いつどんなときに読んでも心地よさを感じられることもあります。時にやる気を高めてくれる言葉に出会うこともあります。言葉の力は偉大です。

文章を読む、その目的は何でしょうか。まず、知らなかったことを知る、見識を広げるということがありますよね。そのほかには?

私の場合は、自分の中で欠けているものを埋めるために必要とすることが多いです。たとえば私は「お前なんかいない方がいい」と言われることを恐れているので、自分の存在を肯定してくれそうな言葉を発している人の文章が読みたい。自分の存在は脅かされるものではないと安心できる言葉を欲しています。

もちろんもっと単純に楽しみたい、笑いたい、気持ちよくなりたいという欲求から手にするものもありますが、より引力が強いのは、私に「OK」と言ってくれるもの。もしかすると飢えているのかもしれないですね。渇望しているから無意識のうちに探しているのかも。

文章には書き手のキャラクターがあらわれます。同じことを言っていても、人によって印象が全然違う。言葉の選び方にその人の性質が影響しているからでしょうね。サンプル数は多くないですが、文字でのやりとりと実際に会って話したときの印象は大抵合致します。だから、文章を読んだときの印象を私はわりと信用しているんですよね。

そういうわけで、文章を読んでいいなと思うと、その書き手のことを好きになることが多いです。たとえ示された意見に共感できなかったとしても、伝わってくる人柄に惹かれてしまうのです。反対に言えば、どうしても受け付けない文章もある。頑張って読もうとしても拒否反応を起こしてしまうような。これは磁石のS極とS極がどうやってもくっつかないようなものなのかもしれません。

文章を読むことで得られるのは、さまざまな知見と癒やし。怯えや心許なさをカバーするために、私は今日も言葉を文章をせっせと収集するのでありました。

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