比較欲と向き合う/『人生が整うマウンティング大全』感想

今年も残り2か月を切りました。というか、もう11月も後半。いや~、時間が経つの、ほんとに早いですよね~。

と、思いつくままタイプした瞬間に頭をよぎったある人の言葉。

「『時間の流れが早い』は、年寄りの不調自慢の一種」

なるほど~言われてみればそうかも?!

いや、でも、みんな本当に実感として言っているだけだろうだから、自慢する意図はないと思われます。私だってそうだし。年を重ねて人生を味わうのは、みんな初の経験だから、驚いて言っちゃうんですよね、「時間の流れが早くなる!」って(同じことをこの投稿でも書いてた)。

 
どんなことでも受け取り方次第だよな~と考えていたのですが、似たような話を少し前に書いたばかりでした。「自分はバカにされるような人間だ」という信念を和らげるのは難しいという話。

「自分はバカにされるような人間だ」を和らげるには

さらに、上から目線でアドバイスをしてくる人の話も書きました。「自分のほうが上だ」と誇示したい気持ちが透けて見えるんだよねーという投稿。

その親切、誰のため? 教えてあげたい欲と向き合う

そんな中で、『人生が整うマウンティング大全』を読みました。

とても面白かったです。

「マウンティング」「マウントを取る」という言葉は、すっかり日常語になりました。

誰かが誰かにさりげなく優位を示す。そんな態度に眉をひそめつつ、つい反応してしまう。

それはなぜか。

本書を読むと、その理由が少しずつ見えてきます。

もうね、目次だけで面白い。

ネタ本かと思いきや、社会心理や競争構造など真面目なテーマを扱っています。マウンティングは自己防衛の一つなんだなーということもわかります。

技術評論社から出版されていることに最初は「なんで???」と思いましたが、読んでみて納得です。

けど、やっぱり皮肉たっぷりに自己啓発書をパロっていると思うので、半分冗談、半分本気といったところでしょうか。多少強引でも言い切ってしまうのが痛快だし、言葉の選び方が見事。オーバーで挑発的な語り口は、こちらを笑わせながらも鋭く突き刺してきます。あぁ、ああ~~~~~!

 

「なぜ人はマウントを取るのか」
「どう受け流せばいいのか」

身近な事例を紹介しながら解説が続きます。恐ろしいことに、読み進めるにつれ自分の内にある小さな虚栄心が炙り出されれるんですよね(俗世解脱マウントとか)。さらに、他人のマウント欲も、よりクリアに見えてくる。ほんとに。これすごい。

「自民党呼び出しマウント」「産院飯マウント」「毛量マウント」など、聞き慣れない単語の組み合わせには笑ってしまうのだけれど、根底にあるものはみな同じ。

身近な人が実際に使っていた生のマウンティングにも気づきます。「ああ!あれか!」、その気持ちよさといったら。快便時の爽快さに近いでしょうか。

妙に感心してしまったのは、プロフィールに「普通の大学生です」と書くことで、逆説的に「私は普通じゃない」と主張してしまう、との説明。なるほど、確かに。他者との優劣を無意識のうちに演出しちゃってるんですよね。

それにしても、何気なくやっていることをこうやって改めて文字に起こされると、自分のことじゃないのに恥ずかしくなります。きっと同じような欲求を自分も持っているからなのでしょう。ゲラゲラと笑えない居心地の悪さがあります。

 

改めて、結局自分もマウンティングの土俵から下りられていないってことだよな~と思い知りました。

「見下されたくない」は「優越感を得たい」と紙一重なんですよね。

「私たちはなぜ他人と比較せずにいられないのか」

それは、人間の根源的な欲望の一つだから。そう本書では説明されています。マウンティング欲求から完全に逃れることは不可能だから、その欲求を上手に使っていこう、というのはその通りだよなと再び納得。

年齢を重ねるにつれ、比較対象も増えるよねってことで、自分を守るためにファイティングポーズを取ってしまうのは自然なことなのかも?

他人のマウントに腹を立てるのではなく、「ああ、この人も安心したいんだな」と思えたら、少しは優しくなれそう。

人のマウンティングを笑いながら、同時に自分を省みる。そんなビタースウィートな読書体験となりました。

 

こうやって感想を書くことすら「私はメタ視点を持っていますよ」というマウントになってしまうのではないかという恐れが生じます。やはり、沈黙は金ということなのでしょうか。言葉の威力を思い知ります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です