ちょっとしたことをやたら丁寧に説明されとき、「バカにされてるのか?」と思うことがあります。「そんな基本的なことも知らないと思われているのか……」と感じるからです。でも違うんです、相手はただ親切に教えてくれているだけ。悪意なんてこれっぽちもない。それはわかる。でも、モヤモヤが発生する。こんなことでごちゃごちゃ考えてしまうのは自分が過敏すぎるのだろうか? そんな思いさえもモヤモヤに取り込まれて大きくなっていく……。
このような状態に陥ってしまうのは、「自分はバカにされるような人間だ」と思っているからじゃないか? ともう一人の自分が言います。それはおそらく自分を守るために設置されたセンサーのようなもの。過去の経験から学んでしまったあれこれがいつまでも心に残っている。そういうのって、きっと多かれ少なかれ誰にでもあるものですよね。人は傷つくことなしに生きていくことはできないのさ(みたいなセリフが映画にあったようななかったような)。だとしても、ちょっとした言葉や態度に過剰反応してしまうのは考えもの。できれば和らげたい。
考えてみれば、このバカにされ感知センサーが過剰に働くことで、人の好意すら疑ってしまうのはもったいないですよね。まずは「自分はバカにされる存在だ」という思い込みを自覚することから始めたいところです。すぐに改善するのは難しいとしても、自分の現状に気づくだけでずいぶん違うはず。「『自分はバカにされる存在だ』という色眼鏡で物事を見ていませんか?」という問いを投げかけるようにしたらいいでしょうか。あるいは、もっと他にいい方法があるでしょうか。
強固な思い込みを変えていくのに必要なものは何か。模範解答としては、「自分はバカにされる存在ではない」という経験を積み上げること、になるのでしょうけれど、うーん。「自分は劣っている」という自己評価は、なかなかに根深いので、やはり専門家の力を借りる必要があるのかもしれません。とは最近よく考えることなのですけれど、やっぱりコストがね……。
いずれにしても、染みついた信念は一夜にして変えられるものではないので、焦らず慌てずいくのが吉。
じわじわじわじわ変えていく。モヤモヤこそが、成長の入口。
そう思ってやっていきます。
モヤモヤチャンスとでも名付けましょうかね。
