フリーライダーという言葉に傷ついちゃった件

「自分はいないほうがいいんだろうな」

そう思ってしまう瞬間があります。間違っていると頭ではわかっていても、その感情が消えることはありません。理屈では否定できても、感情は理屈の範囲外。自分はここにいていいのか。何かに貢献できているのか。しーーーん。ああ、自己嫌悪。

「フリーライダー」という言葉があります。日本語でいうと「タダ乗り野郎」でしょうか。コストを払わず、恩恵だけを受け取る者に向けられる言葉。この言葉には、ズルをしている人間への軽蔑がにじんでいます。誰かが努力して築いたものを、何の苦労もせず享受している。そんな人間に向けられた怒りと嫌悪。そりゃそうだ、そりゃそうでしょう。

そんな言葉が自分の属性に向けられているのを聞いて、大きなダメージを受けてしまいました。わかっていることではあるけれど、明確に「ズルするな」「おまえは不必要」「求められることができないのなら無価値」と言われたような気分になります。他人の言葉で突きつけられると逃げ場がなくなるんだなぁ。

確かに、自分よりずっと頑張っている人がたくさんいます。努力して成果を出し、社会に貢献している人たち。そういう人からすれば、自分のような人間は「ダメな人」「怠けている人」に映ることでしょう。そう考えると、自分でも自分を軽蔑したくなる。そう、自分の中にもそういう嫌悪や軽蔑を向ける人間がしっかり存在しているんですよね。その存在が自分自身を攻撃する。ああ苦しいな。

こういうときはどうしたらいいんだろう。どうしようもない。

今すぐにできることといえば、考え方や捉え方に変化をつけることくらいです。

たとえば、自分を卑下してしまうことについて。なぜそうなるのかといえば、貢献できない事実とともに、他者の努力や成果に足をかけ踏みつけているような罪悪感を覚えるから。でも、言い換えればそれは、罪悪感を覚える分だけ、他者の努力や成果に目を向けることができている、ということでもある。それを労いや感謝の気持ちに変えることができれば、なんか、ちょっとは、こう、違うんじゃない? というような。……とまあ書いていて虚しさも覚えるんですけども。

他者の視線、軽蔑の視線を想像してしまうときは、どうしたらいいのでしょうね。どうしようもないですけれどもね。まあ、人それぞれの背景に思いを馳せる想像力は大事にしていきたいよねってところに目を向けるといいかもしれません。そうすれば、優しい人になれそうですよね。それは多分いいことっぽい。少なくとも悪いことじゃないはずだ。

そんな感じで、自身の無価値感をいなしていけるといいのかなと思います。

 

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