「すべてが嫌になったとき、どうやって乗り越える?」

「急にすべてが嫌になることってある? そういうとき、どうやって乗り越える?」

ネットを眺めていたときに見かけた問いです。

「あ~わかる~、あるよね~、そういうこと」と共感しつつ、自分だったらどう答えるだろうと考えてみたのですが……回答するのは難しいですよね。

この問いの答え自体は、先日書いた内容でカバーできそうです。

不安が高まってもう生きていけんと思ったときの対処法

とはいえ、対処法がわかればOKというものではないだろうし、不安に襲われるのと、すべて嫌になるのは同じではありません。

ってそう、「不安」と「すべて嫌になる」の違いは何でしょう。

せっかくなので考えてみることにしました。

「漠然とした不安に襲われてしんどい」と「すべて嫌になった」の違い

「漠然とした不安に襲われてしんどい」
「すべて嫌になった」

この違いは何か。

まず頭に浮かんだのは、コップに入った水のイメージ。この水位にたとえて考えます。

六つ子グラス

漠然とした不安は、コップの水が静かに上昇している感じ。でも、コップの大きさも水の量もはっきりとはわからない。だから、水位がどこまできているか、どれくらいのスピードで増えているのか不明。ただ「いつかあふれる」という恐れで頭がいっぱいになっている。

一方、すべてが嫌になるのは、コップの水が限界ギリギリ、表面張力の決壊寸前。あるいは、既にコップの水があふれた状態。手遅れでお手上げ。「ああもう無理だ、これはもうダメだ」と音を上げる。

表面張力のイラスト

どっちもしんどい。

限界ラインが見えるにしろ見えないにしろ、持続する緊張感はつらい。疲弊する。もう解放されたい。

ここをどう耐え忍ぶか、どうやり過ごすかという話なんでしょうね。

漠然とした不安には、小さな安心を積み重ねて水位の上昇をゆるめる必要があります。深呼吸や散歩、思考を書き出す時間を作って、不安の輪郭をつかめるようになれば、少しは楽になれるかも。

すべて嫌になったときは、とにもかくにもまず休息。水があふれた場合には、誰かに手伝ってもらうといいかもしれないし、今にも水が溢れそうな限界ギリギリでも、やっぱり人に「ダメだ~」と言えるといいのかも。

ということは、冒頭の投げかけ「急にすべてが嫌になることってある? そういうとき、どうやって乗り越える?」とネットで吐露した人の行動は、適切な行動の一つと言えそうです。

思考の切り替えスイッチをポチッとな

さて、ここまで書いてふと思い出したのが「八方塞がり=究極のリラックス状態」という言葉。

人生の不安を軽減?!みうらじゅん・辛酸なめ子の愉しいお悩み回答 | ナミうつブログ

お悩み相談の回答として、みうらじゅんさんが語っていたものです。

この他に、

  • 将来が見えず、不安になったら、「不安タスティック(ファンタスティック)」と明るく言ってみましょう
  • 「人生」「展望」という言葉を使うのはやめて、「ブーム」「プレイ」という言葉をつけましょう

など。

しんどいときには「そんな心の余裕ないよ……」と言いたくもなるかもしれませんが、そういう考え方もあると知っているだけでも大分違うので、いろんな考え方・捉え方を拾い集めておくといいのかなと思います。

 

【イメージの力を借りたり】
「頑張らない」ってどういうこと?「いらすとや」作品から学ぶ人生の心構え

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