苦悩する主人公か、悲劇のヒーローか、あるいは

こんなことしてはいけない。

でも、そんなもの全部ふっとばしてしまうような情動がわきあがっている。

どうする。

その結果に責任を負う覚悟はできているのか。

 

と、考えるに至った駄文メモを今から垂れ流そうと思うのですが、要するに映画の好みについて駄弁っているだけなので、特筆すべき内容はないです恐れ入ります。

このへんのことを考えるなら「羅生門」とか読むと学びがありそうですね。はい。

芥川龍之介 羅生門 – 青空文庫

私もこれを書いたあと読むことにします。

 

 

さて、今から話すのは不倫映画についてです。

不倫映画ってよくありますけど、悲恋っぽく美化されると引いてしまうんですよね。

真実の愛を見つけた!奇跡!みたいなことを言われても「は? 肉欲に負けただけだろ」と思ってしまって。

いや、まったく理解不能ってわけじゃないんですけど、葛藤が少なかったり、自分の行いを正当化してるように見えると突き放したくなるというかね。

たとえば、殺人犯が主人公の映画で、罪を犯した主人公が自分のことを悲劇のヒーローヒロインみたいに思って被害者ポジション取ってたら「は?」ってなるじゃないですか。で、その殺人がさも美しいものかのように描かれたら違和感ありますよね。いや、もちろんそこまで安直な描き方の作品はないですけども。

って、んー、たとえがうまくないですね……。とにかく、自己中心的すぎる人だと冷める。というか驚く。「あなた、本当に自分のことしか考えてないんですね?」って。せめて、自分のことしか考えない人間ができあがるまでの背景を描いてくれないと。

昔の映画だとまた話は変わってくるんですけどね。政治の道具のように結婚させられた人の話とか。

 

現代劇の不倫映画に関していえば、自分にそういう情熱がないからわからない、というところはありそうです。

だとしたらまあ仕方ないですよね、性向の問題というのか、好みの話。

あとは一線を越えるか否かってところも大きなポイント。一線を越えたらやっぱり擁護できないんだよな~。とりあえず、「負けを認めなさい、話はそれからです」ってなるじゃないですか。

でも、これって自分が知らないからそう思うだけなのかもしれないなとも思って。

いざ自分がそういう経験をしたら、今の自分はただ偉そうに正論を吐くだけの人なのかもしれないし。人を殺した人に「人を殺すのはいいことではありません」と言うみたいな。当人からすれば「んなことはわかってるんだよ!!」っていう。

って、いちいち殺人に置き換えるなって話ですかね……すみません。誰に謝っているのかわからないけど。

 

不倫映画に限らずですが、褒められないことをしたヤツが開き直りみたいな態度を取っていると「は?」ってなりますね。

あ、コメディの場合は開き直ってるヤツが面白かったりするから、むしろありだ。

まあ、そもそも、自分の考える善悪が正しいのかってところを問う必要があるのかもしれません。

やむにやまれぬ何かに突き動かされる。人間の「業」とは何なのか。

まだまだ人生修業が必要なようです。

 

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