自分の本当の気持ちを認めたときに生じる変化

他人の生き方や幸せそうな姿を見たとき、「自分はこれでよかったのだろうか」と不安になることはありませんか。

人と比べて自分は「何も達成していない、持っていない」と感じてしまう瞬間です。この気持ち、うまく言葉にできない。「モヤモヤする」としか言いようがない。

このモヤモヤは、たいてい「世間の目」を意識したときにふくらんでくるもの。仕事も家庭も順調そうに見える人の姿を見ると、自分との違いに気づかされます。否が応でも向き合わされるのですよね、自分がその道を選べなかったことに。

その結果、迷いが生じて自分の選択に自信が持てなくなります。しかも、その気持ちには、焦りや不安がついてくる。時に打ちのめされるような気分にもなります。深い部分で何かしらの感情が揺さぶられるようです。

これは葛藤というものなのでしょうか。無理だとわかっているが「本当は自分もあんなふうになれたらよかったな」と心のどこかで思っている。理想と現実がぶつかり合って、もつれ合って、なんかえらいことになっとるぞ、というような。

でもこうなるのは自然なこと。外部からの影響を受けて「自分、これで大丈夫?」と感じるのはおかしなことではありません。「たられば」を考えても仕方ないけど考えるなと言われたって無理があるし、幼いころから刷り込まれた価値観は簡単に拭い去れないし、「自分にはあれがない」という現実に直面したとき平然としていられる人なんているのか?という。

自分の選択が正しいのか確信を持つためには、きっと時間がかかるのでしょう。というより現時点で判断できないことのほうが多いだろうし。人間万事塞翁が馬のマインドでいれば。

このモヤモヤは悪いものではなく、むしろ大切なサインのような気がします。モヤモヤするってことは、今の自分の選択や生き方に向き合っている証拠と言えるかもしれないから。

他人に流されて選んだわけではなく、自分の価値観に沿って進んでいるか。

それを確認するチャンス。

この感情はちょっとした成長の痛みなのかも、なんてことを考えました。「ヤワなハートがしびれる ここちよい針のシゲキ」って歌詞あるじゃないですか、「愛のしるし」という歌。不安も葛藤も、自分に気づきを与えてくれる刺激。ここちよさには程遠いが、新たに学べるよい機会なのかもしれない。ヤワなハートの腐食した部分を刺激されるとやばいことになるけど、まあそれはそれでよろしいんじゃないでしょうか。悪い部分が流れ出て再生されるかもしれないし?

今の自分にとって何が本当に大切か。これを見直すタイミングを与えてもらったと考えて、「ありがたしありがたし」とか言ってみたらいいのかなと思って、すごい言ってます。ありがたしありがたし。

あと、自分の気持ちを否定しないことも大事っぽいですね。「本当は自分もあんなふうになれたらよかったな」という思いをなかったことにしない。

自分の本当の気持ちを認めると生じる変化、あると思います!

 

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