自分はなんでこんなにバカなんだと心底嫌になってしまうことがよくあるんですけど、「自分はバカだ」と判断するためには第三者の目線で自分を見る必要があって、それは必ずしも簡単なことではなかったりするらしいので、自分が思うほどに救いようのないバカってわけじゃないよと自分を慰めるのだけれども、それでもやっぱりうんざり感は拭えないものですね。
というか、いくら自分が客観的に判断しているつもりでも、結局それも主観的な見方でしかないから、間違っていることが多いと思うんですよね。だから、「自分はバカだ」というジャッジも間違っている。すると、「ほら、やっぱり私はバカなんじゃん、的確な判断ができないってことはさ」というループにはまり込んでしまうのですね。「バカ」という言葉を使うのが不適切なのですよ、おバカさん……。
それにしても、どうしてこんなに自分のことをバカだと思うのか。
自分のことを罵ってると気持ちよかったりするのでしょうか。いやでも実感としては、言わずにはいられないって感じなんですよね。熱湯が手に触れたときに「あっつっ!!」と声を上げてしまうみたいな。思考じゃなくて反射。過去の行いを脳内再生して「バカ!!」と思ったりする。あーでも反射ってほどではないか、もうちょっと反応時間は長いから。
まあね、でもね、過去の自分をバカだと思うのは成長と言い換えることもできるわけでね、それはそれで大事なことかなと思ったりもするのです。子供の頃の考えや行いって、自分としてはそれなりの理屈があったわけなんだけど、やっぱり視野は狭くて幼稚なところがありますよね、それがわかるようになったわけだから、それは良いことなのだよ、とこれまた自分に言い聞かせて慰める。
で、わかってることもあるのですよ、バカだバカだと罵るんじゃなくて、何がどういけなかったのか問題点を明確にして、改善していきましょうって、そういう話だってことはわかっている。でも、それもめんどくさかったりするじゃないですか、だから、一言で断罪して一区切りつけようとしてるのですかね私は。
いや、違うんです、本当は現実と向き合えないだけ。現実と向き合うべく具体的に考えようとすると、思考停止に陥るような感覚があるのです。ものすごい抵抗を感じているみたい。
防衛反応的なものもあるのでしょうか。ただの自己逃避でしょうか。でも、自己逃避するにも何らかの理由はあるわけだから、「怠惰なだけです」という答えじゃ足りない気がします。
間違った行いをしてしまった、そのことを反省する。そういう瞬間が多いんですよね。「間違えた!ごめんなさい!」のくり返し。人は誰でも失敗するとは言いますが、いつまでも引きずってしまう間違いもありますね、自分だけの問題じゃない場合は特に。多分相手は忘れているだろうなってぐらいの些細な言動でも忘れられずに詫びている。一時が万事と思っているから(これも誤り)。人生詫びることだらけ。とかいいつつ、一方で重要なことを忘れていたりもするだろうから、ほんとに自分はろくでもないと思う。あーあ。
まあこういうことを思わなくなったらおしまいなのかなと思ってやっておりますけれども。自分のことをバカと罵ったら、同じ分だけ自分を褒め称える必要があるのかもしれません。何事もバランスが大事。しかしながら自分で自分を褒めるのはなかなか難しいので、ここは生成AIに手伝ってもらおうかな。「これでもかってほどに私のことを褒め称えて」って。そうじゃないと泣いてしまうから。