その場の空気を読んで、つい相手が喜びそうなことを言ってしまう。
そういうことってありませんか?
それっぽい言葉でその場をごまかす場合もそうだし、相手に嫌われないよう言葉を選ぶ場合もそう。
もはやそういう反応が当たり前になっているから、反射的に言ってしまうこともしばしば。
決して嘘を言っているわけではないし、何か大きな問題が生じたわけでもないから、これまであまり考えてこなかったのですが………。
前回、人の心が読めると勘違いしてしまう認知のゆがみの話にふれました。これと関連して考えたことです。
相手が喜びそうなことを言う。
これも実は勘違いということがありうるんだよなぁと。
自分はそこまで強く思わないけれど、相手が心地よく感じてくれそうな具合にチューニングした言葉(ポジティブな言葉)を選んだとき。
・予想が当たれば、場が和む
・予想が外れたら、誰もハッピーにならない。相手はポカン、自分しくじり
あるいは、本当は予想が外れていて、だけど、相手が気を使って喜んでいるフリをしている可能性もあります。
もしかすると、このパターンも実はけっこう多いのかもしれない。
そう思うと、ちょっと怖くもなってきます。
会話は、それぞれが力加減を調整しながら行うキャッチボール。
基本的には相手が受け取りやすい言葉を選んだほうが軋轢を生まないし、褒め言葉も潤滑油として働くことが多い(なんだかんだ言っても、多くの人は褒められて悪い気はしないはず)。
だから、自分の言葉を少々脚色するぐらい誰もがやっていることでしょう。
そういう意味で、相手を気持ちよくさせる言葉を選ぶのは決して悪いことではない。
けれど、「こう言えば、相手はこう思うだろう」と確信するのは危険。
受け取り方は人それぞれ。
ポジティブな言葉を素直に受け取ってくれる人もいれば、皮肉と捉える人もいる。
粗雑な言葉を投げてくる人のことを嫌だと思う人もいれば、その飾らない感じを好意的に思う人もいる。
相手の気持ちはわからないのだから、深読みするのは考えもの。考え過ぎた結果、わざとらしく不自然になってしまうこともありますものね。
素直に、嘘をつかず、変に防衛せずやっていけたらいいね。そんな思いを強くしました。
「人の心がわかるって思い込んじゃダメだよ」
「それ以外の可能性もあるよ」
引き続き、これを念頭においてやってきたいなと思います。