岡本太郎のエッセイ集を読みました。
芸術家・岡本太郎。
誰もが知ってる超有名な人、というのが私の認識です。
でも、彼の芸術が一体どんなものなのかよく知らない。
太陽の塔はテレビで紹介されているのを何度か見たことがあります。「芸術」と聞けば反射的に「芸術は爆発だ!」という彼の言葉が思い浮かびます。でも、それくらいしか知らない。それってほとんど知らないのに等しいですよね。
日本のロックバンド、OKAMOTO’s はメンバー全員がオカモト姓を名乗っています。岡本太郎が好きだからだそうです。そんな彼らの話を聞いたときに、「何に触れれば岡本太郎を知ったことになるのだろう?」と思ったことがありました。岡本太郎という芸術家は好意も評価もすべて吹き飛ばしてしまうような存在だと捉えていたからです。
NHK「みんなのうた」で放送されたOKAMOTO’s の楽曲「DOOR」は、何度でもドアを開け続けるという内容がとても印象的でした。特に扉のモチーフを多用した映像のインパクトがかなり強くて、こういったインスピレーションの源になる岡本太郎はすごいな、彼が何を生み出したのか知りたいなという気持ちが生まれました。ついでに、その歌を聞いたのが病院の待合室だったというその出会い方も何やら面白いなと思って、ぐったりしていた自身の状態とともに記憶に残っています。(ちなみに「みんなのうた」の映像を担当されたのは森野和馬さんという方だそう。)
そんな流れで、今回読んでみたエッセイ『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。』。面白かったです。
いろいろな媒体に書いた文章を集めたエッセイ集。幼少期の思い出話や青春時代の恋愛、身の回りの諸々など、お堅い芸術論ではなく、何気ない日記といった趣。岡本太郎のソフトな面を垣間見ることのできる内容でした。
序盤は、岡本太郎の父母のこと。家族の話にけっこうな量が割かれています。
全然知らなかったのですが、お父さんもお母さんも有名なクリエイターだったんですね。父・岡本一平は漫画家、母・岡本かの子は歌人で小説家。
父母について語る岡本太郎の眼差しと筆致がとてもよかったです。一定の距離を保って客観的にクールに書かれているんだけれど、敬意と愛情を感じられます。素敵な関係性だなと羨ましく思うも部分もありました。
そして、青春時代の話、男女の話と続いて、物事の考え方についても興味深い言葉が続きます。
印象に残った部分を少し挙げてみましょう。
例えば、現実と意識のズレについての言及。
自分は、できるだけ意識して新しくなり、若いものに理解をもっているつもりでも、気がつかないうちに、いつの間にか古くなって時代からずれている。新しすぎるということはないものだ。あなた方からすれば、道徳がないように見える若い世代にこそ、新しい今日の状態に即応した道徳があるのだということを知らなければならない。(「非道徳のすすめ」より)
これはほんとに肝に銘じておきたいことです。最近は「価値観のアップデート」という表現で言われることも多いですよね。どんなに頑張っても新しすぎることはない。若い人に学ぶ姿勢を忘れてはいけません。
「人の心にいったんしみこんだことは、環境や時代が変わったからといって、そう簡単に変るものではない」とはその通り。日々闘いだよなと思いながら過ごしております。自分の内面にこびりついた古い価値観との闘い。いつも劣勢だけど、なんとかギリギリ耐えていますという感じ。岡本太郎の言葉はそれに加勢してくれる力強さがあります。心強いなぁ……(白目)
音楽について書かれたパートも心ひかれました。彼が作曲した作品は、服部克久さんの編曲により「題名のない音楽会」で披露されたそうです。岡本太郎の叫び声とオーケストラの共演。一体どんなんだろ……?
私はあらゆることにぶつかり、問題をひろげたいと常に思っている。全人間的であるためには、うまかろうがまずかろうが、何でもやるべきだ。やらなければ本当の人間としての責任がもてない、と考える。(「作曲のよろこび」より)
音楽、いや、音こそあんな虚飾ではなく、ダイレクトに、痛切に、自他のナマな骨身に対決しなければならないものであるはずだ(同上)
「何でもやってみる」という姿勢はぜひとも見習いたいところですが……私にはできそうになく……(小声)。
食べ物や動物について語るパートでも感じましたが、岡本太郎は、生命力を爆発させようとする意識を持ち続けていた人なんだなと感服しながら彼の言葉を受け取りました。
戦争で中国の前線にいたときの回想もあれば、パリの美しさや素晴らしさを語るパートもあり。自分の知らない世界を見せてもらって胸がいっぱい、そんな読了感でした。重松清さんの解説もよかったです。
お久しぶりです。タイトルにインパクトが、あって おもしろそうな本ですね。さっそく さがしてみます。