うつ病とお仕事に関する記事を読みました。
うつ病になっても「会社を首に」「先がない」そんな焦りは不要に?
ふむふむと読みました。ちょっとモヤモヤしました。何が引っかかったのか考えました。そして、書きました。
そんな感想文です。
現実的なハンデを調整するための法律なのにね
記事の最初に書いてあるのは、障害者雇用率を水増しして、うその報告をしていた行政独立法人がありましたよという話。
障害者雇用率を水増し 厚労省所管の独立行政法人 | 日本経済新聞
「障害者の雇用の促進等に関する法律」というものがあって、障害者を決められた人数雇いなさいよと決められているそうです。それで、決められた雇用率より多く障害者を雇ったらお金がもらえます。反対に、雇用率を達成できないとお金を納めなければいけません。ただし、従業員200人以下の会社は適用されないみたい。(Wikipediaより)
なんでそんなルールを決めたか。心身に不自由があるとスムーズにできない作業があります。不自由がない人と比べると、その人は仕事が遅いということになります。
雇い主としては、仕事ができる人を雇いたい。作業能力の高い人を採用すれば、よりよいサービスを提供できます。
そうなると、作業を素早くできない人にとっては不利。だから、そのハンデを調整しましょう、その人に合った仕事に就けるように支援しましょう、というのがこの法律の目的です。
で、障害者の能力を活かす環境を整えることが本筋なんだけど、決められた人数雇えないとお金取られるし、いろいろ不都合だから、ウソの報告をしちゃった。私はそう受け取りました。
障害ってなぁに? 障害者ってだぁれ?
私のモヤモヤポイントは、記事後半の「障害者雇用という新しい働き方」。
まず、「障害者」という言葉。
「障害」は当て字で、もともとの漢字は「障碍」あるいは「障礙」。「障がい」と書くこともあります。
ここまで私は「障害」という漢字を使っていますが、「害」という字はちょっとな~という思いはあります。でも、「障碍」や「障がい」と書くことにこだわると、逆に「害」の意識を目立たせてしまう気もします。迷います。
それに「障害」という言葉自体にそこまで嫌悪感はありません。「障害」は悪いものではなくて、妨げになるという意味です。例えば、障害物リレーとかハードルとか。
でも、記事で使われている「障害者」はちょっと嫌な感じ。なぜでしょう?
心身の状態により社会生活に不便がある人のことを障害者と呼びます。じゃあ、その範囲はどこからどこまで?
心と体が明確に区別できないように、はっきりと線引きすることはできません。何をもって「障害」とするかによっても変わります。正常と異常の境目なんてないから、説明しろと言われても困ってしまいます。
でも、決めないと何もできないから、便宜的にラインを引いています。法律や学術的な定義がそれです。本当は分類できることじゃないんだけど、とりあえずこの部分はこっちのグループにしとくね、と。
「障害」は、そういう仮初めの言葉にすぎないのに、ついそのことを忘れてしまいます。
だから、そういうグラデーションの部分を感じにくくする使い方、すべてを固定するような呼び方に違和感を感じるのかもしれません。
言葉や表現方法ではなく、それが示すものや使う人の真意をくみ取ることが必要ですね。
それを障害と認識するのは他人じゃなくて本人
「やりたいことがあるけど、身体が思うように動かなくてできない。これがなければうまくできるのにな~」と感じるものを「障害」と考えるなら。
痛みや苦しみが伴う「障害」もあれば、乗り越える喜びを与えてくれる「障害」もあるでしょう。
周りには「障害」に見えても、本人は「障害」と思っていない場合もあるかもしれません。人の感覚はわからないので、他人が「それは障害だ」と決めつけることはできません。
これとは別に、心身に不自由があって困っている人のことを「障害」と思っている人がいるような気がします。私は絶対そんなふうに思わないけれど、心の奥底ではそうなのかもしれません。というか、「うつ」という障害を持つ自分を障害(邪魔)だと責めていた時期があるので、そうです。「私のような人間は価値がない」という感覚。
これは、きっと「できることは良いことで、できないことは悪いこと」という価値観によるもの。
「これをやらなきゃダメ」というルールがある以上、できないことは問題です。できるようになるために努力が必要です。本人ができなくていいと思っていても、それは関係ありません。障害は乗り越えなければいけないもの。できることは素晴らしいことなのです。
本当はできなくても大丈夫なのに。
「全員が同じハードルをこえなきゃいけない。それが標準」
「結果を出せなければ、何の価値もない」
そういう思考が、モヤモヤの原因なのかなーというのがとりあえずの結論です。
障害者を障害と考える思考が障害
いくら本人のつらさを取り除くために「障害」と表現したとしても、当人の気持ちを無視すれば、ただの押しつけになってしまいます。
「障害」と呼ばれるものは、心や体に結びついているもの。
「障害者」という枠組みで考えるときには、そこにある痛みを忘れてはいけないですね。
自分にとっての当たり前は、相手にとっての当たり前じゃない。
経営者側の「やや厄介な雇用制度」とか「障害者として雇用するのは歓迎(障害者雇用率を達成できるから)」とかいう意識を一方的に批判することはできませんが、「もし自分がその人の立場だったら……」と想像する姿勢は忘れないでいたいものです。
とりあえず、何でもかんでも良い悪いで判断するのを控えようと思います。といっても、そういう感覚や価値観が存在している以上、なくすことはできないのですが……。
モヤモヤは続く。
私は、「うつ病、適応障害、パニック障害、抑うつ状態」の診断で会社を休職しています。会社は完治(全快)してから復帰してくれればいいと言っていますがはたして本音ではどうなの?と思うところがあります。会社が障がい者を雇用する割合~と言う事は、新幹線車内折り返し清掃が仕事なんですが、こう言う現場では無理でしょう、私は自立支援医療証はいただきましたがそれが精一杯な感じです。
実際に作業が無理な職種、現場ごとに役所が指導するのと合わせて会社側からの取り組みがないと双方の利益にはつながらないと思います。
ま、私の場合、上記に記した症状って会社(仕事)が原因ではなく、家族(父)が原因なんで、全快→復職と言うのは恐らく無理だと思います。別居するにしてもそんな費用は無く、いちゃもんつけられない様にご機嫌伺いながらひっそりと部屋にいます。いま通院中の心療内科の先生にも環境が変わらないと厳しいとハッキリ言われましたし、投薬している薬が今一つ効果が無くセカンドオピニオンを~とまで言われています。まあ、よくぞ今迄原因の人を殺さずに自分の気持ちの中にしまって耐えてきたなと思いますが結局その積み重ねが「うつ、適応障害パニック障害、抑うつ状態」となってしまったのでしょうね。私は、完治する事は無理だと思っていますし復職も無理だろうと思っています。43年生きてきて結婚はしたかったと思いますが長年のストレス蓄積の影響か良いことなんて何も無かった、なんで自分だけ?と思った事もありましたが今はそれさえも考える余裕がありません。
ここ何日か「列車の人身事故」が多いですね。私も職業柄人身事故の影響はよく理解しているつもり、でもここのところ駅で電車を待っていると吸い込まれていく様な感覚、ホームで待っているとここで一歩踏み出せばこれでおさらばラクになれるという気持ちが強くあります。私に関するデータ等はファイルにまとめてプリントして分かる様にまとめてあります。私が去っても後始末が円滑に進む様に&病気の診断書コピーも同じファイルにまとめてあります。夜に休んでも寝付くまでに時間がかかる、午前2時3時に途中覚醒してしまう等身体のコンディションもメンタルコンディションも最悪状態、うつ病~に関して理解が無いのでもうどうすることも出来なくなり死んで今の状況から脱してラクになれることを模索しています。
ODで実行するのが普通かなと思い、余った(服用できなかった)坑うつ薬を申請せず病院で処方を重ねています。これが私の現状、気持ちです、駄文を長々と失礼致しました。
kanabus_fanさん、コメントありがとうございます。
なるほど、確かに業務内容によって事情は違ってきますね。会社側と労働者側の妥協点を見い出すのは難しいところです。kanabus_fanさんがおっしゃる通り、行政の介入は不可欠なんでしょうね。
今、大変つらい状況あるkanabus_fanさんの苦悩が、コメントから伝わってくるようです。心中お察しいたします。
死ぬことしか考えられないほどの苦しみ、これほどつらいことはありません。心身の苦痛が少しでも和らぐことを祈ります。
まだまだ寒い日が続きますので、どうぞお大事になさってください。
記事より「しかも企業の障害者雇用率の達成に貢献しながら働ける、そんな新しい生活を手にできるだろう。」
この一文を読んで「んっ?」と感じました。
まるで「いままで堂々と働くことができなかったかもしれないけどこれからは”障害者”として会社に貢献できるよ」と言っているように思いました。
1リットルの涙よりこんなセリフがありました。
「病気になったのは不幸なことじゃない。不便なだけ。」
わたしはなんだかこのふたつの文に障害者と障害者じゃない人との”障害”の受け止め方の違いが表れていると思いました。
ナミさんがおっしゃるように「相手の立場で考えてみる」、ぜんぶはわからなくてもわかろうとする姿勢が重要なのかなと思います。
ひろこさん、コメントありがとうございます。
そうですね、人それぞれ捉え方に差異があります。障害者雇用率を達成することが目的ではないですし……。
病気や肢体不自由の人などが語る「不便」という言葉。よく耳にします。
何を「障害」と呼んでいるのか、わかったつもりにならず、これからも考え続けていきたいと思います。
ナミさま,おはようございます。
わたしの就活体験から知ったことを報告します。
企業が障碍者を雇用する理由は,まったく企業本位です。
わたしが就職しようとしたとき,まず職種を清掃関係にしました。頭を空っぽにして身体を動かそうと思ったのです。清掃関係は,実はトイレの関係で女性が多く採用されます。わたしはまず,精神障碍者枠で申し込みました。
採用されそうな雰囲気ではあったのですが,
「若いのだから,バリバリ働いてもらいたい」
「近いうちにリーダーになってもらいたい」
「休みがちな人たちをカバーしてもらいたい」と言われ,
なんかヘンだなあ,と思いつつ次の質問が
「症状というのは?」
わたしはばか正直に,そのときにはまったくなかった,パニック発作について話しました。むかしのそれも突然倒れるような発作ではなく,すこし休めばすぐに動けるようなものでした。
不採用になりました。理由は「お客さんの前で救急車騒ぎにするわけにはいかない」でした。
ちょっと!障碍者枠でしょう?それに,全く休まない人なんているはずがないでしょう。
ほかでも障碍のことを伏せてもなにかあると疑われ,採用されませんでした。
こころのなかで(正直者をないがしろにする者のまわりにはウソつきが群がる。だから休みがちな人が多いのだ)とも思いましたが,そんなエライ人を諭す責任は法律にまかせます。憎んでもわたしが空き家で自爆するようなものですし。
予期不安があったことは事実だったので,この頃このようにこころに言い聞かせました。
「勝算があれば,そこで動く。勝算がなければ止まる」
じっと,体力を温存しました。予期不安はめっきり減り,現在は座りながら授業をするスタイルなので,ラッキーです。
ナミさまに体力を充実していただきたいので返信は不要です。ですが,障碍者就職活動経験としてはお知らせしたかったので報告申し上げました。ナミさま,就職にはやはり体力が肝腎です。ご自愛第一に。
ナミさまはしあわせであれ!