自分の生き方について悩み、誰かの意見を聞きたくなったとき。
もっともな正論と指導を受け、よよよと泣き崩れることしかできない。適切なアドバイスをもらったはずなのに、現状を打開できない。
なぜでしょう?
理由はいろいろあるでしょうが、もしかしたら相手が(あるいは自分が)「人の気持ちを100%理解することはできない」という前提を忘れているからかもしれません。
今日は、そんな「わかんないねー」がテーマです。わかんないわかんない言い続けた結果、「人の言うことをすべて受け止めなくてもいいんだよね」という答えが出ました。
つまり、私の言うことも受け止める必要はないということですね。引き続き私は勝手にしゃべりますけど、とりあえずここでお開きにしましょう。
それでは、ごきげんよう。さようなら。
人の心はわからない。自分の心もわからない。
「こんな私でごめんなさい」
「生きててごめんなさい」
毎日そうやって懺悔していた過去の自分に声をかけるとしたら、私は何と言うだろう?
どんなに考えても、しっくりくる言葉は見つかりません。強いて言うなら、頭をなでなでしてあげたい。
「よしよしよし……」
それを受けて過去の私は何と言うでしょうか。わかりません。誰にもわかりません。
自分のことをわからないと言うのはおかしいかもしれませんが、“今の私”と“過去の私”はまったく同じではありません。
経験値がプラスされた分、考え方の幅がちょっと広がった“今の私”には、“過去の私”が苦しんでいた切迫感やリアルな感覚がない。思い出したり想像したりすることはできるけれど、わからない部分もあります。
自分のことでさえそうなんだから、人の気持ちはもっとわからない。
それなのに、わかった気になって好き勝手に意見していることがあるわけです。あぁ、無責任な自分、恐ろしや……。
一番わかっているようで案外わからぬこの自分
高校生のとき。国語の課題で、相田みつをさんの言葉を引用したことがありました。
一番わかっているようで一番わからぬこの自分
深い考えがあったわけではありません。ただ「ほんとそうだよな~」と常日頃から感じていたので、その気持ちを書いたんです。そうしたら、授業の中で先生に突っ込まれました。
「一番、わからないんですか?」と。
その言い方に若干イラッとして、「自分のことでも見えていない部分がある」「『一番わからない』と言いたくなるほどに、自分のことは考えれば考えるほどわからない」というようなことを言いました。
が、先生は納得がいかなかったようで、その後もやりとりは続きました。
先生:「一番ではないんじゃないですか?」
私:「人によっては一番じゃないかもしれません」
先生:「ということは、一番じゃないんですね?」
私:「一番じゃない人もいるかもしれませんが、私は一番わからないと思ったからこの言葉を書きました」
先生:「う~ん、でもやっぱり一番ではないですよねぇ。ブツブツブツブツ」
私:(あ゛ぁ~! なんなんだこの人は?!)
先生:「うーん(首をかしげて思案)」
私:(あぁ、早く座りたい)
先生:「……“案外”、じゃないですか?」
私:(うーん、そうかなぁ……)
先生:「“案外”ですよね?」
私:「あー、はい、じゃあ案外でいいです」
先生:「うん、そうですね。はい、じゃ座って」
私は憤然としました。「高校生相手になにムキになってんだ?」「ネチネチネチネチお前は姑か!(その先生は男性です)」「『あなたはそう思うんですね』でいいだろ」などなど。
でも、確かに先生の言う通りです。他人と自分を比べたら、わかっている部分が多いのは自分。だから一番わからないとは言えない。先生が言うように「案外」という言葉が正確な表現です。
でもね、なんかその先生の顔を見たら素直に「そうですね」って思えなかったんです。「一番っつーのは言葉の綾でしょ?!」「『自分ってわかんないもんだね~』ってだけの話でしょ?!」って。可愛げのない態度です。
十年以上経った今もこんなこと思い出しては「私は間違ってない」とか考えている私、愛おしいですね。そして、先生もとっても素敵だと思います。
無責任に発せられた意見は割とムシして大丈夫
言葉って、誰が言うかによって違うし、その言い方や態度によってもニュアンスが変わってきます。
「人の意見には真摯に耳を傾けるべきだ」と偉そうに説教垂れる人の意見には耳を傾けたくない私ですが、グサッと刺さる言葉にこそ核心があるんだよな~とは思います。
だから、そういう部分は謙虚に受け止めて成長していけるように……と言いたいところですが、私は未熟な人間なのでなかなかそのようにできません。「常識」や「世間」といった概念を巧みに操り「あなたのために言ってるのよ!」とご指導くださる方の中には、自分が気持ちよくなるために言っている人もいるからです。
できないものは仕方ないので、その人の善意だけはありがたく受け取って、あとは聞か猿。状況を無視した言葉に傷ついて動けなくなるくらいなら何も聞かない方がまし。学ぶタイミングは人それぞれだもの。人間だもの。
そもそも、人様の生き方や考え方に他人が口出しする権利はないんですよね(法を犯したとか人を傷つけたとかいうのは別)。
以前は「わかってほしい」「わかりたい」という気持ちが強かったんですけど、「わからない」「知らない」という前提をすっ飛ばしちゃうと独りよがりな解釈になってしまうこともあって。
「私」は「あなた」じゃないし、「あなた」は「私」じゃない。
わからないからこそ一生懸命考える。考えてもわからないことはあるけれど、そうやって相手を想う気持ちがその人の心を前向きにしてくれるんじゃないかなーと思います。
というわけで本日の結論は、思いつきや反射的な無責任発言は気にしなくてよし。
全部わかった気になって、自分の言い分押しつけたらダメですね。
先生、お元気ですか……?
<我が家のカレンダー>
使えば使うほどに味わいが増し、汚れさえも深遠に感じられる一品。
<参考文献>
瀧波ユカリさんと犬山紙子さんの対談本『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』。
「あなたのために言ってるのよ!」「友達だから言うけどさ~」あたりの解説が大変勉強になりました。モヤモヤとスッキリとドロドロを同時に味わえます。
上下とか勝ち負けとかにこだわらなくなったら、きっとラクになりますね。
<私の心のオアシス>
瀧波さんと言えば江古田ちゃん。療養中は大変お世話になりました。
色々うつ病について調べているうちたどり着きました。
私は11月から休職していて取り敢えず来年1月の休職は決まっています。
私は、適応障害+抑うつ状態+睡眠障害と診断されています。
睡眠は中途覚醒が酷く、午前2時3時に起きてしまいそのままダラダラと朝までパターン、自分自身が何なのか、どうしたいのかが分からず最近は幻聴も入っており頭の中が騒がしい状態です。駅で電車を待っていると、後ろかから押される様な、頭の中でこのまま飛び込んじゃえばラクになるよ等、自身でも非常にまずい状態なんだろうと思えるほどです。
投薬は、クエチアピン錠400mg、ランソプラゾール錠15㎎、ビタメジンCP、ラミクタール錠100㎎、漢方シモツトウ、ケイシカシャクヤクトウを処方されています。上記の幻聴や身体全体の妙な感覚が酷いので、以前処方されていたパキシル錠を復活出来ないか来週病院で相談したいと思っています。
心のより所にしたいと思います、宜しく御願いします。
kanabus_fanさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
早朝覚醒は私も長い間悩まされました。タイマーでセットしたかのように同時刻に目覚めて、その後まったく眠れないという。あれは一体何なんでしょうね。それに加えて、幻覚の症状も出ているとのことで、かなりおつらい状況だとお察しします。特に電車を待っている間に生じる症状は心配ですね。kanabus_fanさんがおっしゃるように、精神的にかなり追い込まれていらっしゃるように感じられます。
kanabus_fanさんに合ったお薬が見つかるといいですね。
寒い日が続きますので、お身体に気をつけてお過ごしくださいませ。