人の悩みを「くだらない」と一蹴する人がいます。
そこまで強い言葉でなくても、「そんなことで」「考えすぎ」などと言われることは、よくあることなんじゃないかと思います。
その意図がどのようなものであれ、深く悩んでいるときにそう言われると、自分の行いを否定されたような気がして、ますます落ち込んでしまいます。
かつて話題になった、こんなベストセラー本があります。
しょせん、すべては小さなこと
「うん、そうだね」と思います。同時に、先の「くだらない」と共通するものを感じます。
原著タイトルはこうです。
「小さなことに汗をかくな。そして、すべては小さなこと」
日本語と英語でちょっとニュアンスが違いますね。その差に注目しつつ、何にモヤつくのか考えてみると、私が引っかかるワードは「しょせん」です。
さまぁ~ず扮するバンド、マイナスターズの曲の中に「S・H・O・S・E・N」という歌詞があります。文脈は「オレなんて」「どーせ」「しょせん」です。もうすべてが最高で大好きです。同じワードでも、大竹さんが使うと面白い。
もし自虐ではなく、「オマエなんて」「どーせ」「しょせん」だったら? だいぶ印象が変わります。
さらに、もう一つ注目したいのは「小さなこと」というワード。これは個人の基準です。「うるさい!大きいか小さいかは私が決める!」と言いたくなります。言ってる本人にそのつもりはなくても、やっぱり「お前の悩みなんて取るに足らない」「くだらない」と聞こえてしまって、貶められた気分を獲得。
いや、そうじゃないってわかってるんですよ? けどね、なんだけどね、「しょせん」とか言われちゃったらね……
人が大事にしてるものを「そんなもん」なんて言わないでよ
「そんなもん」が口癖の人がいました。頭ごなしに言うので、すごく嫌でした。
にもかかわらず、影響されて使ってしまうことがあります。言葉は好きじゃなくても「そんなもん」という語感が好きなので、つい言っちゃうんですよね。たとえ「そんな(にも素晴らしい)もの」の意味で使っても、どうしても批判的なニュアンスは拭えません。
「そんなもん」は「そんな(しょーもない)もん」。人の意向を払い除けるような印象があります。
自分にとっては「そんな(しょーもない)もん」でも、ある人にとっては意義があります。たとえそれが間違っていたとしても、「くらだらない」と言ってしまったら、その人をまるごと否定することにつながるかもしれません。今の価値観を獲得するまでの経緯、当人の考え、これまでの人生が関わっているものを一個人がどうして否定できましょうか。
ここで想定している「くだらないこと」は、悩みです。落ち込んだり不安に思ったり死ぬことばかり考えてしまったりするような精神的苦痛。
自分が必死になっているときほど、あるいは、絶対と確信できる何かを持っているときほど、他人の悩みやこだわりに理解を示す余裕がなくなるように思います。
だって自分がいっぱいいっぱいで余裕がないときに「0.7mmと0.5mmのボールペン、どっちにしよう」とグジグジ悩んでいる人がいたら、きっと「そんなもん」って思っちゃいます。
生きるか死ぬかの瀬戸際にあるときは、それが自然な反応に思えます。でも、もし自分が「A掛かB掛どちらのノートにするか、A4とB5どちらのサイズにするか」で迷っているときなら? 自分の悩みでいっぱいいっぱいでも「くだらない」とは思いません。一緒に考える時間がなくても、せめて「何に使うボールペンなの?」ぐらいは聞きたい。
実際には、なかなかそうはいきません。「どっちでもいいじゃん」「そんなもん自分で決めろよ」「知らんがな」と言ってしまいがちです。
自分が真剣に考えていることに対して「そんなもん」「くだらない」と言われたら悲しくなります。「言わなきゃよかった」と心を閉ざすことになりそうです。いつもそういう態度の人には、優しくなれません。優しくなれないとき、心は縮こまります。
みんなが優しくない悪循環にはまったら、みんなギチギチの態度になります。全体がギチギチの雰囲気になったら、息をするだけでも、すんごく辛くなりそうです。
厳しい態度で進む道を決める人は必要だけど
くだらないと思えることでも、そこに価値を見出す人がいるなら、それは完全にくだらないこととは言えません。反対に、他人にとっては取るに足らないことでも、自分にとって必要なことなら、自分のために大事にしたいものです。
でも、みんなが(多くの人にとって)ムダなものを何より大事にするようになったら、この世の中はムダだらけになって、本当に必要なことを優先できなくなってしまうかもしれません。そうなると秩序は保たれなくなります。
だから監督みたいな人は必要。「くだらない」「そんなもの不要」とバッサリ斬り捨てることで、皆が良い方向に進んでいけるケースはあります。弱い人の苦しみに共感して泣いていては司令塔は務まりません。
そう考えると、自分が嫌だな~と思う人でも、大事な役割を担っているのかなと思えなくもありません。視点を変えれば、どんなに自分がダメだな~と思っても、それもまた何らかの役割を担っていると言えそうです。
役割分担ですね。「くだらない」と言う人も要るし、「くだらなくないよ」と言う人も要る。……のかな? でもやっぱり斬り捨てちゃダメですよね。泣く泣く手放さなければいけないことはあるけれども。
優しい歌が好きです
ここまで書いたことを整理します。
・いろいろな考えの人がいる
・自分の価値観が絶対じゃない
・他人の基準を押しつけられると不快
・優しくなりたい
・優しさだけじゃうまくいかないこともある
・役割分担しましょう
そして、ここで浮かぶ疑問。
監督的な立場の人も必要と言ったけど、私たちが目的としているものは一体なに?
勝負に勝つこと?
何かを建設すること?
作品を創り上げること?
ワレワレノ モクテキハ???
それが明確じゃないなら、やっぱり「くだらない」かどうかはわかりません。
あくまでも、個人の価値観、個人の価値観を集めたルールで判断しているだけ。
この前提を忘れてはいけないですね。
<本日の一曲>
マイナスターズ「ネガティブハート」2005年
あまりにも好きすぎて言及できなくなっちゃうヤツです。今日小出しにするのも惜しいと思ってしまうほどの秘蔵っ子(=愛)です。「S・H・O・S・E・N」は、このアルバムのオープニングで聞けます。はぁ、好き。
<本日の一冊>
リチャード・カールソン (1998)『小さいことにくよくよするな! ― しょせん、すべては小さなこと』サンマーク出版
「人生のフォルダは死ぬまで空にならない(だからそんなに躍起にならなくていいんだよ)」みたいな言い回しがいいな~と思った記憶なのですが、もしかしたらこの本じゃないかもしれません。が、内容としてはそんな感じの本です確か。もう15年以上前のことなので忘れました。
<おまけの一曲>
THE BLUE HEARTS「人にやさしく」
今の気分にぴったりの歌詞です。
やさしさだけじゃ
人は愛せないから
ああ なぐさめてあげられない
期待はずれの 言葉を言う時に
心の中では
ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!
誰が誰に言うかってことが重要ですよね……
む、難しい。。 くだらないって思う人もいるからバランス保たれてるってことなんですかね。 役割ってのが成る程~って思いました。 まぁ、自分も自己犠牲が何故かっこいいって言われるんだーとか思います。 (安定の自分語り。)
まぁ、自己犠牲は良くないって人も少数はいるんでしょうけどね。
自分に優しくないと、ゆとりが無いと、他人に優しくなんて出来ないってのはよく言いますよね。
自分も最近はそれを信じて生きてきました。
でも明らかに 自分の気持ちを無視して他人の仕事を手伝ったり、
他人の評価を気にしていい人を演じて本当の自分が出せずにピエロになってしまっている人の方が
優しい、アイツは頑張ってるな、無理しなくていいんだよ。と、ドラマやアニメ。ましてや現実でも前向きに言われるのは何故だ!(笑)
納得いきません。(`Δ´)プンプン
自分も周りの悪い評価を気にして、ウザいって言われたり、思われたりしたくなくていい人を演じていた頃があったんですよ。(皆そうかもだけど。)
そんなのもあって不登校になったって感じなんですが。(部活とか体力的にも地獄でした。ちなみに陸上部。)
そんな時に誰かが気づいて、 大丈夫だよ。とか、大変だったね。とか 慰めたり、安心させて(?)欲しかったんですよねー…
だから気にくわないのかな…
本当の自分に気づいて欲しかった。無理してるって気づいて欲しかったのかもしれません。
また、だからここで自分語りしてるのか!ってことが分かりました。アホですねー(笑)
まぁ、自分語りもほどほどにってことで気を付けますね。
次から変えますから!!
たぶん。