冗長な文章が好きです。
長ったらしくてムダが多い文章。
脱線が多い文章。
回りくどい文章。
ちょっと皮肉の効いた文章。
文章を追っているとき、私は書き手の思考に飛び込めます。
書き手の頭の中で泳いでいるとき、嫌な現実を忘れることができます。
嫌な現実とは、記憶と時間。
自分の頭の中で泳いでいるときには、いつもこの嫌な記憶と嫌な時間にのみ込まれて溺れます。
だから、溺れそうになったときは、人の言葉、文章に逃げ込みます。
文章を通して、他人の頭の中をのぞいていると面白いことがたくさんあります。
自分の知らない世界を知ることができます。
自分の中身をひっくり返されるような衝撃に快感を覚えることがあります。
その文章を書いた人と会話しているような経験も、これまたエキサイティングです。
だけど最近、じっくり文字を追うことが少なくなってきた気がします。
情報があまりにも膨大で、特にネットは画面から情報が溢れてきそうで、とても隅々まで追い切れません。
サイトは「読む」というより「見る」「眺める」。
ちょっと寂しい気もします。
それでもたまに、昔ながらのテキストサイトを見つけると、思わず読み込んでしまいます。
改行のない長ったらしい解説。
洗練されていないデザインのホームページ。
懐かしさが嬉しくなります。
意味もなく阿部寛さんのサイトを開くこともあります。
(いつ見てもすばらしい……)
昔ながらもテキストサイトには何か憧れのようなものがあります。
なんでしょう、過ぎ去った昔を懐かしむ気持ちでしょうか。
嫌な記憶ばかりではないんですね。
冗長な文章は現実逃避に役立ちます。
視点が変わることにより、肯定のコツを学べるような気もします。
さらに、体調管理の指標にもなります。
うつっぽくなると、長文を読めなくなるから。
冗長な文章は教えてくれます。
ムダだらけの垢抜けない人生も悪くないよねと。
そして私は気づきます。
自分、ただ「冗長」って言いたいだけだわ。