昨日テレビでエヴァンゲリオンをやっていたので、それに関連する話題を書こうと思います。
一応「ヤマアラシのジレンマ」とか人間関係のこととかお話する予定です。
エヴァンゲリオンの魅力と思い出
私はエヴァンゲリオンを一通り見ました程度で知識が浅いので、「そういうことじゃねーんだよ!」ってところがあったらごめんなさい。というか別にエヴァについて語るわけじゃないんですけどね。むしろエヴァをもっと知りたいと思ってるんで、いろいろ教えてもらえたら嬉しいなーなんて気持ちもあるわけです。
どうでもいいですけど、小学校の卒業アルバムの寄せ書きに「エヴァ!」って書いてくれたクラスの男子がいました。当時の私はエヴァの存在は知っていたもののまったく興味を持っていなかったので、「あー、コレ大人になったら痛くて恥ずかしいヤツだ」と心の中でほくそ笑んでいました。
が、三十路を目前とした今、彼のその一言に畏敬の念を抱く私がいます。エヴァってすごいですよね。私はスイーツが大好きな頭弱めの女子()なので、メカニックなものに興奮するってことはないですけど、ストーリーがものすごく面白いし、登場人物が迷って葛藤しまくりなところに共感しちゃうんですよね。
だから、「エヴァ!!!」って興奮している人は素敵だと思います。私もそうなれるように、もっとのめり込みたいと考えているところです。来週も頑張って観ようと思います。エヴァまつり、ワッショイ!
ヤマアラシのジレンマ
さて、いきなりどうでもいい話を炸裂させてしまいましたが、なにしろ今日は何を書くか明確に決まらないまま文字を打ち込み始めたため、自分でもゴールが見えていません。
ただ一つ決めているのは、「ヤマアラシのジレンマ」について書こうということだけ。
このヤマアラシのジレンマは、エヴァンゲリオンの主人公・碇シンジくんが人間関係をうまく築けないことの例え話として用いられたもの。
近づきたい。でも、近づいたら自分の針で相手を傷つけてしまう。同時に自分も傷つく。もうあんな痛い思いはしたくない。あぁ、どうしたらいいんだ! うわぁーーー!
という状態ですね。これじゃあ雑すぎるので、もう少しちゃんとした解説を。
物語は、真冬の吹雪の中で寒さに震える2匹のヤマアラシの登場から始まる。
寒くてたまらないヤマアラシは、互いの身を寄せて温まろうとした。ところが、ヤマアラシにはトゲがあるため、体をくっつけてしまうと、相手のトゲが刺さって痛くてたまらない。かといって、痛いから体を離そうとすると、今度は寒くて凍えそうになってしまう。
そんなジレンマを抱えながら、くっついたり離れたりを繰り返すうちに、2匹はようやく、体はある程度温まるけれども、互いのハリが体に刺さらないくらいのちょうどいい距離を見つけ出す。(『エヴァンゲリオン用語・語源辞典』より)
このヤマアラシのジレンマはドイツの哲学者ショーペンハウアーによる寓話。ある解説によると、精神的に優れている人は他人と関わろうとしなくて、中身がからっぽのおバカさんはどんどん他人に近づいて傷つけ合うということだそうです。え? ほんと?
で、これを元に精神分析学者のフロイト先生が「この話って人間関係の象徴だよね!」と自分の本に引用しました。それによると、ヤマアラシのトゲは人の心にある敵意や憎悪などの攻撃的な感情らしいです。
要するに、「人間関係って難しいよね。ポイントは距離感だすね!」というお話。
この本の編者「オカルト雑学探究倶楽部」。素敵な匂いがしますね。
人間関係をうまく保つ距離感
では、その距離感をどうやってうまく保つかが問題となってくるわけですが、これはもうケース・バイ・ケースとしか言いようがなくて、でもそれじゃ何も言えなくなってしまうので、自分のことを思い出しながらお話を続けていこうと思います。
と言っても、正直これまでの人間関係のいろいろを思い出すのは楽しいことではないので、やっぱりやめます。
が、ただ一つ言えることがあって、人と距離を置くようになってからすごく楽になりました。
私は昔から誰かのちょっとした発言にいつまでもグジグジ悩むタイプだったので、人生の悩みの9割は人間関係によるものだといっても過言ではありません。その中に「人と良好な関係を築かなければならない」という強固な信条がありまして、自分の気持ちを無視し続ける日々。
その結果、自分がどうしたいのかわからなくなり、良好な関係を築こうと頑張っているのに「あなたって自分ないよね」と言われて、どうにもこうにも八方塞でパニクっておりました。
何がきっかけで多くの関係を清算できたか言えば、やはり病気になったとこですね。
このあたりことは思い出すのが面倒くさいのですが、友人が離れていったりケータイ逆パカ事件(※)が勃発したりしまして、自然消滅的に関係が切れました。
※ケータイ逆パカ事件・・・「もうどうにでもなれ!」とやけっぱちになった私が折りたたみ式携帯電話を本来折りたたむべき方向と反対の向きに折りたたんで引きちぎった事件。
最初は嘆き悲しんでいた私でしたが、ある程度時間が経って気持ちも落ち着くにつれて心境に変化があらわれ、「独りって楽しーい!」とはしゃぐまでになるのでした。
私にとって心がラクになるベストな選択
そんな自身の経験から私は一つの結論を導き出しました。それは、
人間関係に悩んでいる人は、その相手と離れるといいね!
というもの。
と言っても、そんなに簡単に離れられるなら苦労せんわ! って話でもあるので、現実的な解決策とはならないかもしれません。
でも、どうしようもなく悩んで、心を病み身体を壊してしまうくらいなら、最終手段として物理的な距離を置く選択は有効だと思われます。
例えば、会社を辞めるとか、家族と離れて一人暮らしをするとか。
やっぱりこれは非常に無責任な発言なので、今言ったことはなかったことにしてください。私はこれで問題を改善できたのでよかったというただの経験談です。すべてはケース・バイ・ケースなので、これが悪い結果を招く可能性もあるでしょう。しょこんとこヨロシクです。
最後に
「傷つけるのも傷つけられるのも嫌だー」という考えは後ろ向きでよくないと言われることもあるんだろうなぁと思います。
昔「人を愛し人をキズつけ 人に愛されキズつけられて」とカラオケで歌った人が「いい曲だよね~」としみじみ言っていて、私はその感覚がよくわかりませんでした。なぜ傷つける前提なのだ? と思ったんですね。歌詞の真意はそうじゃないんですけど。
今は、素直にそうだなと思います。でも、やっぱり傷つけるのは嫌です。誰も傷つけずに生きていくことなんてできないってことはわかるんですけど、私はできる限り痛みを伴わない選択をしたいのです。
ヤマアラシがお互いを傷つけないために、ハリのない頭部を寄せ合って体を温め合うように、最善の方法を探していきたい。
まぁ、その距離感を見つけるために、お互い傷つけ合いながら学び、成長するってことなんですよね。
そういうこと全部ひっくるめてキレイごとじゃないんだぞってエヴァンゲリオンは教えてくれる気がします。そこがこの作品の魅力ですね。(強引なまとめ)
それでは、来週のエヴァまつりもお楽しみに!
↓マンガも面白いですね。
「人を愛し人をキズつけ 人に愛されキズつけられて」というフレーズは、太陽族の「誇り」という歌です。
こんばんは。
良好な人間関係を築きたいがために自分を抑圧し、自分がわからなくなるという経験、思い当たる節があります。
セラピーの中で、
イエスマンになり相手に合わせることに徹することがコミュニケーションだという考えが(言葉にすると自分でもおかしいと思うのですが)正しいという思い込みがあることに気が付きました。
ただ、この思い込みが間違いで、抑圧することが自分の心に悪いということに気が付いても、
それまでの認知、そして行動を変えることは難しいなあと痛感しています。
新しく人と関係を築く時も、結局は今までと同じように自己主張をしない「良い子」になってしまう…根底にはやはり嫌われることへの恐れがあるのだと思います。
いや、そもそも主張するほどの本当の自分なんて初めから無かったんじゃないか?と考えが深みにハマって行ってしまってなかなか前に進めず…本当の自分をどこかに置いてきてしまったのかもしれません(笑)
少々本論から脱線したコメントかもしれませんが、ナミさんの経験に共感し嬉しく思いました。
どうもありがとうございます。
Yoschさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そうですか~、その感じめちゃめちゃわかります。お仲間発見です。
Yoschさんがおっしゃる通り、頭で理解していても実践するのは本当に難しいですよね。私もイエスマンから脱却するのに随分苦労しました。まぁ、今もその傾向は多分にあるんですけどね。
最近は「こうしなきゃ!」「こうあるべき!」という強迫観念がなくなって、大分ラクになりました。さらに「『自分がない』って何だよ?! 私にはそんなもんないんだよ! つーか私はここにいるし!」という開き直りの精神も手に入れました。それが良いことなのかはよくわからないんですけど(笑)。
自分の気持ちを抑えてしまうのは、相手の気持ちを大切に思っているからこそで、そういうYoschさんの優しさは素敵なものだと思います。そんな思いやりの心を持ったYoschさんは、超絶ワガママ自分勝手に振る舞うくらいでちょうどいいのかもしれませんね。荒治療?になるカモ。あ、でも私はそれでいろいろ失敗しているので、バランスを保ちながら試行錯誤することが大切ですね……(反省)。
心の在り方を変えていくのはなかなか難しいですが、日々の生活の中で少しずつ「楽しい」「心地良い」と笑顔になれる瞬間を見つけていきたいですね。
はじめまして、こんばんは。
たまたまネットサーフィンをしていて見つけたブログ…ハッとしました!自分のことかと。年も近くで趣味も状況も似てるときたので。
私もかつては、バリバリ働いてなんぼと、まさにニートやフリーターの同級生を蔑んで見ていたんですが…現在無職で実家にて療養中の身です。
毎日早く自立しなきゃ、働かなきゃ、これ以上心配や迷惑をかけちゃいけないと、焦るばかりでその結果体調不良に陥るといった、負のスパイラルにハマっていたところです。
兎にも角にも、似たような境遇の人が居ることにホッとしました。
ちなみに、私もエヴァファンです。ヤマアラシのジレンマ、ずばり核心をつく話ですよね。もっとも、シンジみたいに感情をぶちまけることができたらいいんしょうけど。(小出しがベストですかね。)
人としての理想はみさとさん、でも実際の自分はシンジをもっとけちょんけちょんにした感じ…。笑
これからも新しい記事楽しみにしてます
keatonさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
いや~、ホントに似てますね。コメントを拝見して勝手に親近感を抱いております。
私もkeatonさんと同じような思考に陥っていました。焦りは本当にやっかいです。最近は大分落ち着きましたが、焦り出すとダメですね。焦るのは「よくなりたい」という前向きな気持ちがある証拠だよ、と考えても自分のことだけは全然肯定できないし、ダメなところばかり目について。まーほんとに困ってしまいますね。
みさとさん、私も理想です。彼女と同じ年になってしまって「うわぁぁぁ~!」と悶えながらも憧れますね。
「シンジをもっとけちょんけちょんにした感じ」に思わず吹き出してしまいました。私もそっち派です(笑)。あと、感情を小出しにするっていうのもすごく納得です。シンジより控えめにね。
なりたいイメージに向かいながら日々を過ごしていけたら、少しずつ良い方向に進めそうな気がしますね。物語の力は偉大だなぁ~。
またのお越しをお待ちしております。お身体に気をつけてお過ごしくださいませ。
はじめまして、こんにちは。
そうですか、ここに集った人の
顔すら知りませんが
やっぱり人として生きる以上は
何らかの選択を迫られているんですよね。
普段まず
コメントを残したりしない私ですが、
私の場合はナミさんの逆を経験したので
ひとつ書いてみようと。
6年前、授かり婚をしました。
私はとにかく、人を信じることをせず
それまで過ごしていましたので
突然、妻と子どもができた時は
『結婚は人生の墓場』とは
うまいこと言ったもんだなんて
思ってましたw
それからは墓場どころか
地獄のような日々。
なにしろ嫁の針から逃れることもできず
挙句じぶんの針で嫁を傷つけましたから。
お互いが、〝あかいハリネズミ〟でした。
でも面白いもので、
檻に入った2匹気がつくと
お互い針を使いきっていました。
刺さったままのハリが
今でも痛むことがありますが
はじめて信頼できる人を見つけました。
みんながみんな、それぞれの決断で
出会ったり別れたりするのって
素敵ですね。
余談ですが、エヴァンゲリオンの4話
ヤマアラシのジレンマは
シンジの家出について
シンジの話をするミサトと
それをミサトとカジさんとの別れと
照らし合わせるリツコの
論点の噛み合わないやり取りが
印象的でした。
昔のアニメなのに、
エヴァは新しい発見が次々ありますね!
また、伺わせてください。
えるまーさん、はじめまして。
貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございます。とても示唆に富んだお話で勉強になります。同時に、すごく素敵なお話だと思いました。
「あかいハリネズミ」は確か絵本ですよね。未読なので一度読んでみます。
エヴァ4話についても。それぞれのシーンに何か意図があるのでしょうか。見るたびに発見がある作品。忘れてしまった部分が多いので、また時間があるときにじっくり観てみようと思います。
7年前から鬱病(双曲性障害)に悩まされてるアラサーです。ナミさんのブログに出会って半年、色んな発見に出会いとてもありがたいです。
そんな僕も現在人間関係で悩んでおりまして、ある人に「鬱病は自業自得。糖尿病と一緒。」と言われました。
その方とはとても長い付き合いだったので非常にショックを受けました。
鬱病を否定されると、まるで僕自身の存在が否定された様な気になります。
そんな時に「ヤマアラシのジレンマ」と言う言葉に出会えました。
ですが、鬱病に理解を示さない人に対してはこちらが歩み寄る必要はないのかなとも思います。
ナミさんのブログにはいつも励まされております。僕も何とか鬱を脱出してまた社会に復帰したいと思います。
これからも更新楽しみにしています。