「世界のどこかで餓死する子供たち」と自分を比べて落ち込んでいませんか?

クレマチス

「頑張りたくても頑張れない」
「うつ病を抱えながら仕事をしている人もいるのに」
「こんなことで弱音を吐いている自分はダメだ」

そうやって自分を責めしまうことはありませんか?

私はいつもそういうことばかり考えていました。

「世界には、飢餓に苦しんで死んでいく子がいるのに」

よく言われるこのセリフが私のオハコ。あと「戦時中は~」とか。

こういうことを考え出すとネガティブルーレットが回り出します。どこに当たってもネガティブな結果しか得られない悲しきゲーム。考えれば考えるほど抜け出せなくなっていきます。

確かに、恵まれない環境で生きる人たちの存在を知ることは必要です。それを糧に自分も頑張ろうと思えることも素晴らしいことだと思います。

でも、病気のときにそれを考えてしまうと非常につらい。特に落ち込みがひどいときには注意が必要ですね。自分だってギリギリの状況なのに、「こんなことで泣き言を言ってはいけない!」「こんな私には生きる価値がない」という考えに至ることもあるから。

割り切って考えるのは難しいですが、貧困に苦しんでいる人たちと自分を比べることはナンセンス。生きてきた環境、条件が違います。たとえ衣食住に困っていなくても、つらい思いをしているのは事実。あなただって困難を乗り越えようと頑張っていますよね。

みんなのしあわせを願うなら、まずは自分が笑えること。あなたや私が笑顔になれば、世界の平和を増やすことになる。

と、誰かが言っていました。確かにその通りです。私は人と比べて落ち込むと、この言葉を思い出して自分を励まします(簡単にネガティブな気分から抜け出せるわけではないのですが)。

島田雅彦さんの小説にこんなセリフがあります。

「それは<こうしている間にも何処かで飢えた子供が死んでいく>の論理だ。そういうのを原始的ヒューマニズムっていうんだ。そんなことばかり考えてたら、我々は一生涯、幸福な人生を歩まなきゃならなくなるだろうが。餓死してゆく子供たちに比べりゃ、我々は百倍も幸福ってことになる。それは相対的幸福というやつだな。『可哀相』と思っただけで買えるような幸福は空しいね。やはり絶対的な幸福を目指さなければ、『可哀相』っていうだけじゃ何の問題解決にもならん」

(『優しいサヨクのための嬉遊曲』より)

大切なのは、自分が「幸せ~!」と感じられること。餓死していく子供たちと比べてしまうと、「つらい」「苦しい」と言えなくなってしまいます。

あなたにとっての「絶対的な幸福」は何ですか?

私は……

  • 毎日健康で暮らせること。
  • 心から泣いたり笑ったりできること。
  • 大切な人と和やかに語り合えること。
  • 好きなことをケチらず楽しむこと(主に金銭面)。
  • 自然の美しさを感じながら生きること。

こうやってイメージしていくと、緊張がほぐれて優しい気持ちになれます。人助けのためにはこの余裕が必要なんだよね、そう気付かされます。そして、「幸せになっていいんだよ」と自分に言い聞かせています。

世界平和を実現する第一歩は、“わたし”が心から笑えること。

その時が来るまでは、今の苦しみを耐え忍び、少しでも痛みを軽くする方法を探していきましょう。

あなたの幸せを願って。

 

<本日の一冊>
島田雅彦 『優しいサヨクのための嬉遊曲』1983年

こちらの新作(上巻)に収録されてます。

2 COMMENTS

生まれてきてずっと感じていた負い目を解決する糸口になりました。
この記事に出会うまで、世界中の不幸を解決しない限りは
自分を哀れんだり、必要以上に幸福になってはいけない気がしていました。
金言をどうもありがとうございました。

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ナミ

雪さん、コメントありがとうございます。

私もこれらの言葉をはじめて知ったときには、すごく救われた気がしました。

世界の“不幸”を見るとき、私は「そこに生きる人が何を感じているか」をすっ飛ばしていました。自分が生きている環境を基準に、勝手に想像して比較して不幸だと決めつけていたんですよね。

もっともっと「自分とは何か」「世界とは何か」知りたいと強く思います。

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