カレンダーめくれない問題

カレンダーの上のビジネスマン

うつで床に伏せっていた時分、カレンダーをめくることさえ困難になってしまったという話をします。

これはただ自分が不精なだけだろうと思っていたのですが、うつで極端に気力が低下していたことが関係しているかもしれないと気づきました。

なぜそう思ったかと言うと、今月はカレンダーを一日にめくることができたからです。コレ、以前だったらありえないことなのです。

もしあなたが「カレンダーすらめくれないなんて」と自分を責めているならば、このページをお読みいただくことで、少しは気持ちがラクになるかもしれません。ならなかったらごめんなさい。

 

月はじめの約束を守れない私

カレンダーをめくることができないという悩み。

紙をめくるという物理的な行為ができないわけではありません。月のはじめにカレンダーという紙の束を一枚めくってビリビリ破ることがどうしても難しいのです。

カレンダーをめくれないと言ったときに想定されるカレンダーは、当然のことながら紙のカレンダーです。壁掛けタイプ、卓上タイプいろいろありますが、私の場合は、毎月破る壁掛けタイプ(B4サイズ)のカレンダーが特にダメなんです。肩幅程度の距離をビリビリ破るだけなんですけどねぇ。

療養中は毎日毎日寝ているだけなので、カレンダーを見なくても問題はありません。むしろ時間の流れなんて知りたくない。どうせそれを知ったって絶望するだけ。だから、見ない。

いや、診察日時のメモや「今日は何日かな?」という確認はしていたわけですから、何かしらのカレンダー・暦は見ていたはず。はっきりした記憶はありませんが……。

きっと月日を確認する術が他になければ、カレンダーをしぶしぶめくるんでしょうね。

 

カレンダーをめくれない理由

なぜカレンダーをめくることができないのか?

まぁ、面倒くさいからですよね。休養している人間にとっては、使わないもののためにエネルギーを費やすのはもったいない、というか、エネルギーが欠乏しているのに、なぜカレンダーをめくれるんですか! え!? といったところでしょう。……私だけでしょうか。

外に出かけられないどころか、トイレに行くのもおっくう、お風呂に入るのも歯を磨くのも大仕事。食欲も物欲も性欲もない。エネルギー枯渇。そんな状態でカレンダーめくるって逆にすごいですよね。

そういう方いらっしゃいます? カレンダーだけはちゃんとめくってますって人。メインで使っているカレンダー以外でですよ? 薬局でもらったから使わないけど何となく壁にかけてるだけのカレンダーですよ? って、これじゃあ「めくるわけないじゃないですかー」という答えを求めているみたいですね。すんません。

そうじゃなくて、カレンダーをめくるという行為は、私にとってそれくらいの大事業だったという話です。

冒頭でも言った通り、私はいまだにカレンダーを月はじめにめくることができません。そりゃ、以前に比べればましにまりましたけどね。基本めんどい。

正直なところ、そのカレンダーが不要だということにうすうす気づいてはいるんですけれども、カレンダー捨てるのは抵抗があるものですから、このような状態になっているんですね。

MOTTAINAI 精神は今も生きています。

そして、MENDOKUSAI 精神も健在です。

 

カレンダーや時計は便利よね

社会生活を営む上で「時間」は欠かせないものです。学校へ行くにも仕事をするにもそれが前提。

でも、本来時間は分割したり刻んだりできるものではありません。日が昇って日が沈む、その変化があっただけ。多分。

知らず知らずのうちに、便宜的なものに縛られていた自分に気づくと、何となく自由を感じられるような……。

そういえば、小学生の頃はまっさらなカレンダーに予定を書き込むのが楽しみでした。大した予定なんてないんですが、“新しい何か”にワクワクしていたんですね。まだ誰も踏んでいないふかふかの雪を踏みしめる喜びに似ていた気がします。

そんなふうにアレコレ思いを巡らせるうちに、カレンダーや時計の便利さを痛感するのです。みんなが同じ日の同じ時間に集まってパーティできるのはすごいことなのだなと。

そう、燃えるごみや資源ごみを決まった曜日に出して、業者の人に回収してもらえることもすごいことなのです。いつもありがとうございます。

 

カレンダーの正体は……?

カレンダーをめくれないことはたいした問題ではありません。だって、それはかりそめのものだから。

運動場で子どもが地面に線を引いて、「こっからここまではオレの陣地~! 入ってきちゃダメー!」と言う感覚と似ているかもしれません。絶対的なものじゃない。○○君の陣地はここからここまでね、みんなもそう考えましょうね、という認識を持っているだけであって、彼の陣地は彼の陣地ではない。ただ、主張しているだけ。

で、その主張は精密で世界のみんなを納得させてしまう区切り方でしたー、という具合に時間は生まれたのかな? と勝手に物語を作っています。

時間に管理された生活から離れられるのは、貴重な体験だと思います。まぁ、つらくて、苦しくて、生きていることさえ嫌になってしまうときには、それどころじゃないんですけどね。

日常の生活、社会の時間に1秒でも早く戻りたいと焦ったときこそ、その意味を思い出したいものです。

というわけで、「カレンダーすらめくれないなんて……」と落ち込んだときは、カレンダーが示しているものは何か考えてみるのがおすすめ。

自然にカレンダーは不要なのであります。

以上、カレンダーをめくれないことを責められたときの言い訳でした。

壁の向こう側に憧れるマレーグマ

うぅ~あぁ~

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