ネットスラングはおもしろいですね。ひねりの効いた言葉を見ると「言い得て妙だ」とうならされます。文字や記号を使って表現された絵もユニークなものがたくさんあります。これはアスキーアート、AAと呼ぶそうですね。
最近、気に入っているのは「つ鏡」。
文脈から察するに、相手をけちょんけちょんにこき下ろしている人に対して、そんなこと言ってる君こそどうなの? と揶揄するものらしい。「つ」は手をあらわしていて、「鏡」を差し出す様子を表現しているようです。
(´・ω・)つ鏡 そっくりそのままお返しします
相手を叩けば叩くほど、騒げば騒ぐほど、その言葉はブーメランとなって自分の頭に突き刺さる。滑稽です。
かく言う私も大差ありません。わざわざ波風を立てる人の態度に文句を言いたくなることはしょっちゅうです。自分のことは棚に上げて。
特に、自分の思い通りにならないことが気に入らなくて文句ばかり言っている人。人の欠点をあげつらってこき下ろすとか、どんだけ非生産的なの? 自分に都合のいい文脈しか聞き入れないっておバカなの? 偉そうに講釈たれてる暇があるなら、人を動かすコミュ力でも磨けば?
つ鏡
という具合に、全部自分に返ってくるんですね。
自分には当てはまらない部分があったとしても、「本当にそうかい?」と自問するとちょっと不安。現に、文句ばかり言っている人に対する文句を言っているし、自分に都合のいい解釈をしているだけかもしれないし、文句を言うことに時間を割くよりもっと有意義な時間の使い方がありそうです。
と、ひとり反省会の資料となるので、おすすめ!(何が?)
先日も、不満に思ったことを誰かに愚痴りたくなったのですが、どんな点が不愉快なのか考えているうちに「これあれだ、『つ鏡』だ」と気づきまして。グサリと刺さる己の言葉に苦笑しつつ、ちょっと朗らかな気持ちになりました。そして、自分が何に不快感を覚えたのか忘れてしまいました。
(´・ω・)つ旦 まぁまぁお茶でもどうぞ
他人は自分を映し出す鏡、みたいなことを言いますが、本当にそうですね。
「人の振り見て我が振り直せ」
腹が立ったときほど思い出した方がいい。特に、何だかよくわからないけど不快になるとき。なぜだろう? と考えた結果、自分の嫌な部分を相手がわかりやすく体現しているから不快なんだと気づかされることがあります。
例えば……すみません、ちょっと言うのがはばかられます。ざっくり言うと、優劣とか美醜とか。自分の優位を示したがってる自分に気づくとつらいですね。あぁ、美しい心でありたい。
となるともう何も言わずに黙っているのが一番だと思うのですが、そうするとブログに何も書けなくなってしまうので、自分が発する言葉は全部ブーメランだと思って書いています。おかげさまで、たくさんの学びをいただいております。自分が未熟であればあるほど、たくさんのブーメランが返ってきますからね。私の頭部には多数のブーメランが突き刺さっています。流血なう。
って、卑屈な感じになってきました。
「鏡見てから言えよ」と言われると何も言えなくなってしまう私ですが、そういうときこそ「つ鏡」と切り返せばいいのかもしれないですね。
「バカって言った奴がバカ」って言った奴が負け?
でも、そういう生き方って人間らしくていいですよね。もちろん人を傷つける言葉の暴力はこの限りではありません。
優しさとユーモアを忘れずに、飄々と生きてゆきたいものです。