映画『僕らの世界が交わるまで』を観ました。
いや〜、うん、とりあえず、よかった。すごく。
なんというか、よかったけど、見終わったあとにじわじわくるしんどさがあったですね。今もきてます、じわじわ。ザ・人間関係。
というわけで、感想を書きます。
この作品は、母イヴリンと高校生の息子ジギーの物語。イヴリンはDV被害者のためのシェルターを運営し、社会奉仕に身を捧げています。息子のジギーは、動画配信で人気を集めるティーンエイジャー。フォロワー数と再生回数の多さが自慢。
二人は仲が悪いわけじゃない。でも、どこか噛み合わない。相手のことがよくわからない。ぶつかりもしないけど、交わりもしない。
そんな二人の何とも言えない距離感が描かれていきます。
印象的だったのが、存在感薄めのお父さんが放ったセリフです。
「君たちは自己愛が強すぎる」
この母息子はね、生涯功労賞を受賞したお父さんの授賞式をすっぽかすんですよ、自分のことに必死でね。まあね、いろいろ忙しかったんだけどね、ひどいよね。そりゃお父さん怒って当然。普段うやむやな空気をまとわせている人だって怒るときは怒るんですよ!
でも、当人らは「自分のことばかり」という自覚はなさげ。
イヴリンは、シェルターで暮らす男性高校生カイルに大学進学をすすめます。DV被害者の母を思いやる彼の優しさ、その好青年っぷりにふれ、力になりたいと思うイヴリン。その思いゆえに、自分の理想を無自覚にゴリ押ししてしまうのです。それがしんどかった……。イヴリンは、拒否される可能性なんて考えてもいない。だって明らかにいいことを言っているんだからってね。実際、彼女の考えは正しい。まっとうな善意です。でも、彼女は自分の立場や力を意識していません。「正しさ」が相手にどう響くか想像できていないのです。
一方の息子ジギーくん。同級生の気になる女子ライラに好かれたくて、あれこれアピール空回り。ライラは、政治や社会活動に興味を持ち行動する意識の高い子(お母さんみたいだね?)。でも、ジギーはどちらかというと意識低い系で、あまり相手にされてない系? そして本人あんまり気づいてない系? 必死すぎて? おいジギー、相手がどんな顔してるか見てる???
そんな二人の姿を見せつけられて、あ゛ぁーーーーーとなるのですね。「やめろ!」と「わかる……ウグゥ」のせめぎあいです。
目の前の相手がどんな考えを持ち、どんな気持ちでいるのか。それを理解しようとせず、自分の思いを必死に伝える姿……これが本当にしんどいですね。きっと昔の自分を思い出すからでしょう。
二人とも、きっと、相手のことをよく見ていると確信しているのですよ。実際そう。めちゃ見てる。相手のことをめちゃめちゃ考えてる。でも、自分の世界で、自分のフィルターを通して見てるだけ。相手には相手の世界があることに気づけていない。……あれ、おかしいな、自分の話をしているんだったっけ?
相手を見ているようで見ていないことの怖さ。これを見せつけられたようで、何とも居心地の悪さを感じたのでした。はぁ。
自分が第一になっていると気づいたとき。人は変われるのだろうか。目の前の人と向き合えるのだろうか。
今後、事あるごとに思い出すことになりそうな作品です。
それにしても、ティーンの「ババア、勝手に部屋入ってくんなよ!」は鉄板の面白さですね。若干の恥ずかしさやむず痒さを伴うよさがあります。いろんな映画のこの場面を集めたいくらい。
