長年お世話になっていた先生が病院を変わると聞き、胸のあたりに空白ができたような気持ちです。精神科の医師ではなかったのですが、とても感じがよく優しい雰囲気の先生でした。私がこれまでに出会った精神科の先生たちも基本的には穏やかな人が多かったのですが、そのよさに負けないよさを持っているのでした。
私が好ましく思う「よさ」とは何か。そこには「ゆるさ」がある気がします。精神科でお世話になった先生たちの顔を思い浮かべてみても、好意的に思っていた先生はみな、大なり小なりの「ゆるさ」を持っていました。その「ゆるさ」は決して「手抜き」ではないと思います。適当にあしらわれているなと感じる先生には不快感を覚えますが、好意的に思える先生にそういう印象はありません。「頼りない」とも違います。緊張を強いられない。きちんと向き合ってくれているのに、どこか肩の力が抜けている。そんな柔らかさを感じるのです。
そもそも医師免許を持っている時点で、ゆるくはないのですよね。医者になるのは簡単ではありません。努力が必要です。そして、医者として働くにはタフさも求められます。にもかかわらず、患者を前にしたら、そんなことを感じさせない。ゆるささえまとえる。それがすごい。特に冒頭で挙げた先生には、そんなハードな側面が垣間見える瞬間が幾度もありました。これって要するに、意外性にときめくギャップ萌え?
実はむちゃすごいのに、全然そんなふうに見せないキャラは、フィクションの世界でも人気ですよね。私もそういうすごさを夢見ているところがあるのかもしれません。夢見ているという点でいえば、たまにしか会わない存在は、そうそう悪いところって見えないし(一部の人を除く)、いいとこ取りでいい感じに捉えられる部分もあるんでしょうね。私の日常からは少し離れたところにいる、半フィクションのような存在です。でも、そんな存在が、実際の関係性以上に心の中で大きな支えとなることもあるんですよね。
もう先生に会うことはないんだなぁと思うと寂しい。ああこれが「寂しい」という感情か、と思いました。最近感じなくなっていた感情だったので、なるほどと思ったのでした。
別れをとおして感情を抱かせてもらえたことがありがたい。本当に先生には感謝することばかりだな。