煌めきワードを噛み砕き、一つ一つ、地道にやっていく

前回感想を書いた本『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』の中に印象的な言葉がありました。

そういえば、今まで読んだ本でも、みんなどこかで勇気を出してたなあ。ってことは、逆に、一歩踏み出すように生きていれば、誰でも主人公になれるのかもね。

物語の動かし方について語られる中で出たみくのしんさんの言葉です。

ああ、すごく素敵な言葉だなぁとしみじみ噛み締めました。悩んでいる人や行き詰まりを感じている人に届いたら、いい方向に人生が動き出しそう。

と言いつつ、自分にこの言葉を向けると、途端に雲行きが怪しくなります。まず「主人公」という言葉が、自分とは縁遠い。いえ、自分の物語の主人公が自分であるというたとえは理解できるのですが、なんか、こう、しっくりこない。

そこで気づきました。「主人公」に対して私の持つイメージは偏っている。物語の主人公は、強くて、前向きで、特別な人間。そんな人柄を一番に浮かべているようです。もちろん正反対のタイプが主人公となっていることはいくらでもある、むしろそちらのほうが多い気もするのですが、「物語」や「主人公」という単語だけポンと渡されたときには、ポジティブな印象が喚起されます。

だからこそ、自分と大きな隔たりを感じてしまう。メンタル不調のときには「自分の物語は終わった」という気持ちでいっぱいになっているから尚更。何も変わらない物語は、進まないし、物語るほどのものでもない。

でも、これは「主人公」や「物語」のたとえに引っ張られすぎているのですよね。「一歩踏み出すように生きる」、これは、誰かに見せるためにやるのではありません。

一歩踏み出す、それはすなわち、いつもの自分に小さな変化をつけてみること。それが結果的に「自分の物語を進める」ということだと考えれば、素直に頷けます。

これってあれだよな~と連想するのは、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式スピーチで語った「点と点をつなぐ(connecting the dots)」話。

“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.”
(未来を見て点と点をつなぐことはできない。後から振り返って初めて、それらがつながっていたことがわかる。)

行き詰まったとき勇気づけられるジョブズのスピーチ | ナミうつブログ

 
私の好きな物語設定があります。それは、主人公が脚本家であること。現実を物語にたとえるなら、私たちも自分が脚本家であり主人公であると言えそうです。でも、現実の私たちは物語の中にいる。リアルタイムで人生を作りながら生きている。それに対して、フィクションの脚本家は物語の外側にいて、全体を見渡しながら書いている。そりゃ同じようにいかなくて当然。渦中にいる存在が、客観視する余裕なんてないし、行き当たりばったりになったって仕方ないよね~と思い至ります。

自分が生きている現実は劇ではないので、劇的なことはそうそう起こりません。劇的な効果演出を担ってくれる外部担当者もいません。そして何より、主人公が地味(ここは笑うところ)。

というわけなので、「自分の物語を生きる」という言葉に引っ張られすぎず、地道にやればOK。まあ地道にやるのも簡単ではないのですけれど。それでも、「物語の主人公」という言葉がまぶしく感じたとき、「地道」というのは、自分を落ち着かせてくれる堅実な言葉ではあります。

 

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