複雑さに耐えて生きていく難しさ

対立を煽る投稿が多いSNS。心を削られることが多いので、普段は見ないようにしているんですが、意図せず目に入ってきた投稿がありました。

その投稿自体は特に変わったものではありません。が、ちょっと考えるところがあったので、今日はそれについて書きます。

 

私は一体何に引っかかったのか?

そのとき見た投稿は「なぜ対立構造を作るようなことをするのか?」と問うものでした。が、その投稿自体が対立構造を作るような内容でもありました。

「○○の人は~~なのに、どうして○○の人は※※の人と対立するような構図を作るのか」

自覚があるのかないのか……。それこそどうしてこういう投稿をするんだろうか?と疑問に思いました。

どうやら投稿主さんは「※※な人」当事者であるっぽい。外野から言っているわけじゃないよ、ってところはポイントになりそうです。

こういうパターンの投稿けっこうありますよね。ということで、具体的な内容は省略しました。

 

で、ここから考えたこと。

まず押さえておきたいのは、

  • 「○○の人」にもいろいろな人がいる
  • 対立構造を作っているのは「○○の人」に限らない

以下、私の感想です。

まず、「○○の人」といっても千差万別、その多岐にわたる背景を考慮していないように見える。

次に、対立構造を作っているのは「○○の人」に限らない。対立構造を作らない「○○の人」の人もいる。にもかかわらず、「○○の人」とくくって、敵に仕立てあげているように見える。

そして、これってただの愚痴では?という思い。実際のところは「私(※※な人)のことを悪く言ってくる人がいてムカつく。その人は○○の人だった」ってことでは? 普通にそう言ってくれたほうが「そうだよね」って共感できるのになぁ……と。

 

なんのためにこういうことをするのか?

一般論っぽく言い換えるのは、できるだけたくさんの人に共感してもらうためですよね。仲間を作りたい。

加えて、「自分が正しいと思える根拠がほしい」という思いもありそう。

さらに、「過去に嫌な経験をして、それに対するカウンターを打ちたい」という気持ちもあるかもしれない。

つまり、「わかってほしい」「認めてほしい」という気持ちが背景にある。

そう考えると、その人のこと抱きしめたくなりますよね。みんなのことも抱きしめたくなる。「大丈夫~?!ヨーシヨシヨシヨシ」って。

 

ちょっと前にも書きましたけど、世の中、白黒はっきりつけられないことが多い。

それでも、生きていくためには、その曖昧さや矛盾を受け入れながら進んでいくしかない。

でも、それがめちゃくちゃ難しい。

ついシンプルな答えを求めたくなるし、対立構造の中で「こっちが正しい」と思いたくなることもある。

 

こういうときいつも思い出すのは美智子さまの言葉。

「私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならない」

シンプルだけど深くて、優しくて、それでいて厳しくもある。

じっくり味わうたび、いつも泣きそうになります。

複雑さを抱えて生きていくって、めちゃムズな課題だ~~~。

とりあえず、思い出したいことは、語りの根本にあるのは「わかってほしい」「認めてほしい」という心の叫びだってこと。

「もうなんでそういうこと言うんだよ~」「そういう不毛なバトルはやめろよ~」と嘆く代わりに、「この人の心の叫びは何かな?」とこれからは考えてみたいと思います。

ちょっと国語のテストっぽいですね。

 

参考
第26回IBBYニューデリー大会基調講演 – 宮内庁

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