「あたりさわりのないことしか言えない人ってつまらない」
そんな言葉を耳にしました。
はい、それ私です! あたりさわりのないこと言いがちパーソンです。
だってねぇ、人様に主張したい自己なんてないし、面白いと思ってほしいわけでもないし、下手に相手を傷つけてそれによって自分が嫌な思いしたくないし。
あたりさわりのないことしか言わなくても、分かる人にはわかる、波長が合う人には自然と伝播する、そんなふうに思っているところもあります。
だから、「言えない」というより「言わない」「言いたくない」。いや、もちろん「言えない」の場合もあるんですがね……。
どんな言葉であれ、言葉自体に良い悪いはないのでしょう。あたりさわりのない言葉をどう使っていくか、その使い方がポイントですよね。
言葉というボールを投げてみて、相手の反応を見るとか。潤滑油やつなぎとしての言葉とか。場を動かすためのスイッチのような役割だったり。「会話のジャブ」という表現がまさにそう。とっかかりとして有効な言葉ってありますよね。
言葉はありきたりでも、表情や仕草や声で、たくさんのことが表現されていると思います。それによって動かされる空気、それを含めた交流にこそ面白さがありそう。
あるいは、立場によっても変わりますよね。
相手があたりさわりのない言葉しか言わないのはなぜか?
もしかすると、めんどくさがられてる可能性もあるのでは?
例えば、上司と部下という関係性だったら、理解しやすそう。
私の場合は、上下関係のような力の差がなくても、余計なことは言いたくない。それは、波風を立てたくないということです。無用な波風は疲れるから。自分は波立ちやすい性質を持っているようなので、躁鬱予防の観点もあります。
というか、こういう話って、具体的な内容、文脈に言及しない限り、何も言っていないに等しい内容になっちゃいますよね。
もうね、私がここに書いてる内容ってそんなことばかりですよね、それは自覚しています。けど、きちんと正面から向き合って取り組むエネルギーがない。そんな言い訳ばかりしているからダメなんだよな~。言い訳ばかりしていいわけ? ダメです。そう、しょうもないダジャレならいくらでも出てくるのにね。はぁ。
言葉にあたりさわりがあるのではなく、その言葉をどう受け止めるかという人間性が注目ポイント。張り合いのない言葉をどう捉えるか。
「この人はつまらない人間だ」というのはすなわち、「私はこの人の面白さを見いだせない」であり、それはもしかすると「私がつまらない人間なのだ」なのかもしれない。
なんてことを書いたら、冒頭の発言者を否定しているみたいになっちゃうか。いや、別に否定したいわけじゃない。むしろ「わかる」と思う部分も多分にある。それに、他者の面白さを見いだせないことは、つまらない人間であることとイコールではない。
ただ、己の至らなさを棚に上げて他者を雑にジャッジしている可能性があるかもしれないし、自分もそういうとこありそうな気がするし、そのあたりちゃんと自覚したいな、必要に応じて調整も必要そうだなというようなことを思ったので、我が身を見直そうという気持ちになっている今です。