最近気になっている言葉があります。それは「のっぴきならない」という連語。
「のっぴき」は、「退き引き(のきひき)」が音便化されたもの。退くことも避けることもできない、どうにもならないことを意味します。
パッと思いつくのは「すみません、のっぴきならない事情がありまして……」のような言い回し。「抜き差しならない事情で」と言うより軽やかで親しみがわくような気がします(実際にこの言葉を使っている人を見たことはありませんが)。
「のっぴきならない」
なんか音が可愛い。口に出してみても楽しさがあります。
ひらがな表記であることもポイントでしょうね。「退っ引きならない」だとなんか違う。「のっ」と「ぴ」が重要。パフュームのっちの「のっ」と、ピカチュウの「ぴ」。どちらも可愛い、よいちょまる。
なぜこんなことを思ったかというと、ある評論で「のっぴきならない」が連呼されていたからです。
偉大な作品が投げかけるのっぴきならぬ感じは、その部分部分ののっぴきならなさ、ないしは必然性ではなく、全体としてののっぴきならなさなのだ。
(スーザン・ソンタグ 出淵博訳「様式について」)
内容がまったく入ってこない。伝わってくるのは、のっぴきならなさがすごいんだなということだけ。一文で3回も「のっぴきならない」って、それただ言いたいだけじゃない?ってツッコみたくなっちゃう雰囲気がありませんか。思わず一人で笑っちゃったっつーの、すごいのっぴき言うじゃんって。
これは、学校の授業で先生が熱を込めて説明すればするほど、その様が滑稽で生徒に笑われてしまう状況に似ています。授業の内容より、先生の口癖や仕草の方が気になっちゃうパターン。
権威のある人であればあるほど、かしこまった内容であればあるほど、唐突に飛び出した「のっぴきならない」からのっぴきならない状態になってしまうのであります。
と、隙あらば「のっぴきならない」と言うチャンスをうかがっている次第です。が、なかなか口にする機会がありません。残念です。ってただ言いたいだけなのは私でした。どうもすみませんでした。
では最後に、大事なことを言います。
あなたの人生が投げかけるのっぴきならぬ感じは、その部分部分ののっぴきならなさ、ないしは必然性ではなく、全体としてののっぴきならなさなのです。
意味わかりましたか? 私はわかりません。
「のっぴきならない」は、今年のマイ流行語大賞にノミネートされました。