自分の言葉を信じてもらえない。
これほどつらいことがあるでしょうか。
いわれのない罪を着せられる。勝手に決めつけられ、ときに脅され、こちらの言い分など何一つ聞くことなく、正義をふりかざされる。
そんな経験をしたら、人を信じられなくなります。
今日は「冤罪」に関する本の感想です。
『死刑冤罪 戦後6事件をたどる』感想
『死刑冤罪 戦後6事件をたどる』(里見繁 著)を読みました。
無実の罪を着せられた人の気持ちを思うと堪りません。
長い年月、どんな気持ちで過ごしてきたのか。想像をはるかに超えるものなのだと思います。
冤罪事件に関わる新聞記事や書籍を読むと、警察官、検察官、裁判官の判断がいかに不合理であるかを思い知ります。素人が見ても「おかしくない?」と思えるような論理です。警察や検察が証拠を隠していたというニュースはこれまでにも見たことがありますが、改めて詳細な資料を並べられると唖然とするばかりです。
ここに書かれていることがすべて正しいのか私には判断できませんが、不誠実な態度には憤りを覚えます。人を守るはずの機関が無実の人を傷つけて人権を侵害しているなんて恐ろしい。絶対にあってはならない。
でも、そう憤る一方で、権力を恐れる弱い心や保身に走る気持ちもわからないわけではありません。絶対にわかりたくなんかないけれど、「もし自分がその立場だったら」と考えると自信がありません。だから、余計に腹が立ちます。自分の意気地のなさが情けなくて。一度疑われた人を雰囲気だけでグレーと判断してしまうのもそう。こういう人が無言のままに人を苦しめる。私もここに含まれています。
そんな思いがあるからこそ、囚われながらも無罪を求めて闘い続けた人、雪冤(罪の無実を明らかにして、身の潔白を示すこと)のために尽力した人たちの存在が圧倒的に迫ります。これがどんなに困難なことか。
こういうブログをやっているので、ニュースには出ない、個人のつらい出来事にふれることもあります。
その人がどんな気持ちで過ごしているのか。何年も孤独な闘いを続けていることを思うと、言葉を失ってしまいます。
嘘偽りのない事実を受け入れてもらえない。
自分の言葉を信じてもらえない。
その痛みは計り知れません。きっと私に理解することはできないのだと思います。ただ、乏しい想像力でも、身を引き裂かれるような痛みを伴うであろうことはわかります。
大切なものをすべて失い、誰も何も信じられなくなった。
過去はもう戻らない。
あのときと同じようには生活できない。
堪りません。やりきれません。本人の悔しさ、やりきれなさはどれほどのものでしょうか。
いくら救われることを祈っても、それさえも欺瞞に思えて言葉に窮するばかりです(それをこうして書き綴ることもそうです)。
メッセージを受け取ってから考えています。
今の私には何もできません。でも、あなたが語る言葉を私はまっすぐ受け止めます。私は知っています。あなたが語る言葉を知っています。
そして、自分にできることは何だろうか。私なりに考えています。
どうか、その苦しみが少しでも和らぎますように……。