喜びなんて何もない?人生は苦痛の連続?満足感を得るために必要なこと

路地

これまでの人生で楽しかったことは何ですか?

と聞かれて、あなたはすぐに答えられますか? 「あぁ、あのときすっごく楽しかったなぁ~」と感じられることはありますか?

私は残念ながら即答できません。いや、ないはずないんです。楽しかったこともありました。実際エピソードとして浮かぶものもあります。ただ、どこか他人事というか、自分の身に起こったことなのに、実感が伴わないんですよね。映画や小説のワンシーンみたいで。

反対に、イヤなことはいくらでも思い出せます。思い出したくなくても、勝手に記憶が再生されます。感情までリアルに想起されて、叫び出したくなるほど。実際に呻き声が出ます。完成度の高い追体験です。って自分の体験なんですけど。

苦痛は実感できるのに、喜びを実感できないのはなぜ?

なぜ「楽しかったなぁ~」という気持ちを思い出せないのでしょうか。

コンディションが優れてないときには思い出せない仕様になっているのでしょうか。もう何年もそういう状態が続いているような気がします。

実際には、ホワワ~ンな気分も感じているのに自覚がないだけなのでしょうか。「思い出せない」と思うのはイヤな気分のときだけ、良い状態のときには思い出そうとしていないだけ、ということでしょうか。

でも、ちょっと気分のいいときでも、イヤなこと思い出して、良い気分がしぼんでしまうことがよくあるので、気づいていないだけだよという考えにはあまり納得はできません。

これこそがイヤな気分に支配されている証拠でしょうか。

自己防衛と危険予知

満たされていたときの気持ちを思い出して、人生に対する絶望感を和らげよう。そんなアドバイスがあります。

でも、どれだけ頑張っても「楽しかったなぁ~」というホワワ~ンが思い出せません。

それはなぜか考えてみてふと思ったのですが、もしかしたら、これは自分を守るための反応なのかもしれません。

楽しかったときの満たされた気持ちを思い出すと、現状の惨めさが浮き彫りになります。それほど惨めだと思っていなくても、一般的な価値観からすれば、憐みの目を向けられる状況にいることは否定できないので、そういう視線を意識すると悲しい気持ちになります。その悲しみが広がるのを防ぐために、手に入れられない喜びを感じられないようにしている、というのが一つ。

もう一つは戒めです。楽しかったときの気持ち、喜びを素直に感じられる自分を取り戻そうとすると、現状を変える努力が必要です。地道な努力では追いつかない場合、「よーし、ガンバルゾー!」と気合が入ります。その結果暴走する危険があるので、それを抑えるために、喜びを感じるセンサーが働かないように設定されているとか。「調子に乗るなよ」って。エンジンが爆発しないように。

そう考えると、「楽しかったなぁ~」と感じない方がいいのかもしれないと思えてきます。できれば「あぁイヤだぁぁ!」も感じないでいたいのですが、それはきっと危険予知ですよね。また痛い思いをしないですむよう、危険を察知するセンサーがばっちり働いているのでしょう。過剰なほどに。

穏やかな満足感に包まれるとき

あとは、「楽しい」「幸せ」の期待値が大きすぎるってこともあるんでしょうね。

私の場合は、満たされない気持ちというより、いつか糾弾されるに違いないという恐れ、解放されたい、無罪放免になりたいという気持ちが強いです。きっと自分のような罪深い人間はウンタラカンタラ的な思考が根底にあるからだと思います。犯罪は犯していないんですけど。

ということは、「私のような罪深い人間は喜びなど感じてはならない」という思考に陥っているのかもしれません。だから、いつも心から楽しいとか幸せとか思えないんですかね。頭では「楽しいな」「幸せだな」と思うんですけど、どこか言い聞かせている感じなんですよね。

本当はもっと大きな喜びを感じたいのに、自分でそれを得られないようにしている。あるいは、手に入れられない理想を求めすぎている。幻想に溺れている。そういうことなのでしょうか。なんだかよくわかりませんが、できれば楽しいのがいいんですけどね。

でもやっぱり、100%の喜びは味気ないのかもしれません。というより、100%喜びだったら、それが喜びだと実感できませんね。それが当たり前だから。

人生の充実感を持ち、同時に「寂しさ」を自覚している人は、とても魅力的です。一般的に「寂しさ」はネガティブな印象で捉えられますが、「寂しさ」自体は自然な感情であって、決して悪いものではありません。そのことを知っている人に私は惹かれます。それは仲間を求めるとか自分を慰めるとかいうこととは少し違います。生きることに寂しさは内在しているのだと思います。

その寂しさを自覚して生きるか、ごまかして生きるか。どちらが正しいということはないのでしょう。自分が好きなように、お好みの答えを選んで生きればいい。

楽しさへの過剰な憧れ、寂しさへの拒否感、そういうものから抜け出せたとき、穏やかな満足感に包まれるのかもしれません。

1 COMMENT

Calm

大変ですねー…
『楽しさ、幸せを追い求める女性』とかかっこいいですけどね。

自分は何か無いってより、言いたいです。
何か、かっこいいから。
「〇〇って楽しかったこと無いんだろ?」
「そうなんだよねー。」
っていう、
『楽しさを知らない男キャラ』が出来るからっすね。

自分は寂しさが自然な感情で悪いことで無いのなら、
悲しくなることも調子に乗ってしまうことも自然な感情で悪いことでは無いと思いますねー。
っていうひねくれた感じ方をしましたね。

こんな時、かっこいい人は何ていうんすかねー…

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です