物を捨てると心が軽くなるし「めんどい」も減る

白い壁と白い机、ベージュと黒のイス
最近、使わなくなった物を少しずつ捨てています。

本当はもっと思い切って処分したいのですが、貧乏性ゆえ、なかなか捨てられません。

ずっと使っていない物も、それほど思い入れがあるわけではない物でも、いざ捨てようと手に取ると「いや、でも待てよ……」と手が止まってしまうのですよね。

そんなわけで、破れている物、壊れている物も大事に取ってあったりします。収納の奥の奥の方に。

時間が経って完全に不要だと確信できれば、捨てられるようになるので、その状態に至った物を今思い切って捨てているところです。「まだ使える」という言葉に注意しながら。

 

ミニマリストを目指しているわけではないのですが、物をもっと少なくしたいという気持ちが常にあります。トコトン合理化したい。物に囲まれていると疲れるから。空間だって無料じゃないですし。

服装もジョブズ方式にしたい。同じ服を複数も揃える方式がラクですよね、組み合わせを考えなくていいから。

靴下、下着、家で着るカットソーは実装できつつあります。

が、外出用の服はまだ全然。すべて同じだと毎日同じ服を着ていると思われる可能性があります。このデメリットをどうやって乗り越えるか。

「気にしない」でいけるハートがあればいいのですけれど。

 

こんまりさんの「ときめく・ときめかない」の判断基準はわかりやすくていいですね。

でも、これで全然片づかないものもあります。

例えば、本や布や手芸の材料。

これらを見ると私は必ずときめいてしまうのです(それなりに元気があるときは)。

うーん。

「なくても死なない」

強いて言うならこれが条件でしょうか。物理的に飢えないことはもちろん、心が死なないこと。

ほかの物や方法で代用できないか考えながら最小限に絞っていけたらいいのですが、絞り込みだと思い切った選択をしにくいような気もします。

いずれにしてもエネルギーが必要とされますねぇ。はぁ。

 

片づけの本によく書いてありますが、物を捨てると、買う物をよく吟味するようになるから、ムダな物を買わなくなります。

物を捨てる行為は、心が痛む、なかなかハードな作業。それを経験することで、「もうそんな思いはしなくない」と余計なものを買わないようになる。

不要品が最小限になれば、捨てることに胸を痛めたり、物が多すぎてしんどくなることもなくなります。これは良いことです。

「もう死ぬしかない」と思い詰めて身辺整理したときは、あんなにバカスカ捨てられたのにねぇ。なんて思いながら、散らかった部屋で放心しています。

あのときは、体力がなくて、捨てられない物がありました。

今は、執着があって捨てられません。

まぁ「あとで必要になって後悔するかも」と悩むのは、未来を見据えているからで、生きることに前向きな証拠。そう考えれば、良いことだと言えるのかもしれません。

だとしたら、捨てられないって良いことなのか。

いや、物があふれていると、掃除がしにくいし、ホコリがたまるから、やっぱり良くない。

というわけで、やっぱり使わないものは潔く処分しようと思い直すのでした。

「なくても困らない物で、3年使っていない物は捨てる」ぐらいの基準ならいけそうかな。

今「喪服は必要」と当たり前のように考えましたけど、これはどうなんでしょう。レンタルという手もあるのか? いやでも急に必要になることが多いから、やっぱこれは必要か、うん、必要だ。ないと困る。と自分の中の当たり前を疑うことが重要なのかもしれません。

 

物を捨てるとスッキリして心が軽くなるし「めんどい」も減る気がします。

この前、靴をまとめて処分したときにもそれを感じました。

無気力改善のために、片づけ&不要品を処分。

これからその効果をじっくり観察したいと思います。

もし実行することができたなら。

2 COMMENTS

あたま

更新ありがとうございます。
断捨離ですね。
人との付き合い方も断捨離すると気持ちが楽になるかも。

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