「頑張れない」無気力感に支配された日の日記

横たわるカエル

頑張れない。やる気が出ない。働きたくない。何もやりたくない。好きなこともない。夢もない。

そんな無気力さんに送るエントリー。本日のメニューは私の無気力日記です。

数回にわたりお送りしている三日坊主シリーズ。

これを書いた人が本音を綴ります。でも、無気力日記を書き終わった後で、上記の三日坊主シリーズを読んだらちょっとやる気が出たので、私って本当に単純だなと思いました。そういうわけで、上の3つはそれなりにオススメです。

それでは、参りましょう。無気力で暗澹たる気分に支配されている人に、「ここにもやる気ナシの人がいる」と現状肯定の材料にしていただければ幸いです。
 

めんどくさいと言いながら書きつける無気力日記

無気力です。何もしたくありません。文字通り、生きること、生命活動も面倒。しかし、気力の有無にかかわらず、身体の各所・臓器は動き続けます。だから、生きています。

楽しいことがないわけではありません。でも、何らかの活動をすると疲れます。やる気を出して頑張ると、もっと疲れます。気づけばいつも疲れています。体力が足りないのだと思います。だから、運動をしたほうがいい。そうすれば、きっとこの疲労感・無気力感は改善されるでしょう。

でも、やらない。なぜならば、気力がないからです。そんな言い訳してないで、さっさと着替えて走ってこいと言う自分がいます。でも、めんどくさい。

こういうことを人に言ったら、不快に思われるでしょう。特に、過酷な環境で頑張っている人、不眠不休、無理を押して耐えている人にとって、こういう言葉は腹立たしいものに違いありません。もし私が精神を擦り減らしながら頑張っている中で「気力がない」という旨の愚痴をグダグダ聞かされたら、「こっちはこんなに大変な思いをしているのに」という思いが多少なりとも生まれると思います。

そう考えると、申し訳ない。愚痴るつもりはないけれど、引け目を感じます。そして、やっぱり自分という存在はない方がましなのではないかと考え出します。でも、それができない。もし、こういう在り方を非難する人がいたら、「一思いに殺してください」と言う、そんな場面を想像します。でも、それもできない。人を殺すことは罪です。怠惰な人間のために、真面目に生きている人を罪人にすることはできません。

こんなことを言っている間に、自分ができることをしろよ、と思います。でも、やらない。遺憾に思います。

ご飯を食べることも面倒なときがあります。準備が面倒、食べるのも面倒、片づけるのも面倒。でも、丸1日何も食べないと、さすがにお腹がすきます。だから、食べます。面倒なことができた。よかったね。と喜べたらいいのですが。

こんな自分でも頑張るときはあります。やる気が出ない、頑張れないと言って固まっているよりも、それなりの成果を出し、対価をもらえば、罪悪感のようなものを感じないですみます。だから、頑張ります。でも、しばらくすると疲れます。「疲れたときは休めばいいよ」。でも、一度休むと、生命活動全般の面倒臭さを思い出してしまうため危険です。

だから、休みをなくします。できる限り活動を続けます。しばらくすると、疲れます。そしてまたやる気が出ないと嘆きます。同じことのくり返し。

惰性です。惰性、物理学では「慣性」を指すそうです。止まっていれば、止まったまま。動いていれば、動き続ける。やる気があろうがなかろうが。

 

やる気が出ないのは、今やっていることに意義を見いだせないから。「やらなければ」と自分を追いつめているから。自分が好きなことなら頑張れるよ。

そんな言説があります。まったくもってその通りです。私もこのブログにそういう類のことを書いています。でも、正直に言ってしまえば、それは現実的ではないし、自分の好きなこと、やりたいことも特にありません。それなりに楽しみを見い出すことはできますが、「好き」と口にすると同時に「そうでもない」と思います。

好きなものはあります。好きな人もいます。その人やもののために頑張ればいい。「じゃあいいや」。熱量が少ない。だから、アクティブになれません。

人のために生きるのが良いと言います。「愛する人のために」、それは本当に素晴らしいことです。でも、目下そういう人はいません。見つける気力もありません。

なぜ気力が湧かないのか考える気力もありません。「疲れてるんだよ、休みなよ」? 体を休めればある程度は回復するしょう。でも、根本は変わらないでしょうから、疲れた頃にまだウダウダ言うだけです。

だましだましの人生。

それでいいのではなかろうか。

と納得しているわけではないのですけれど。

 

野垂れ死ぬことを夢に見ながら、惰性で今日も生きる、そんな毎日です。

6 COMMENTS

味PON

私も凄くわかりますっ…!
初期ほど体と心がしんどい時間は減ったけど、昔のようにバリバリとは活動できないし、あんな自分に戻りたくない。
新しく働くには、心体に不安が残るという微妙な隙間にいる感じです。
たまにズドーーンと無気力が襲ってきて恐くなりますが、ナミさんの文章に肯定感を頂いた感じがするのでちょっと気が楽になりました☆

いつも素敵なブログありがとうございます!!!

返信する
はな

ナミさん、こんにちは。

私も今そんな状態です。
不謹慎かもしれませんが、
死ねないから生きてる、といったような感覚です。

ナミさんのブログを読むと、私だけじゃないんだと
救われる気がします。

返信する
まゆ

ナミさんの文章がとても心地よくて、よく拝読しています。

ほんと、そうなんですよね。
「疲れたら休めばいいんだよ」って言ってもらって、実際に休んでちょっと回復したところで、根本は変わらないから、一生それの繰り返し。
死ねないから生きてるだけです。私も。

返信する
yuyu

いつも「うんうんそうなんだよー」と頷きながら拝見してます。
でも時には「あ、これは私と違うわ」とか個人の差を感じたり。

野たれ死ぬことを夢見ながら生きている。
今の私はまさにそれです。
死にたいけど誰も殺してはくれないし、死にに行くのもだるい、疲れる。
だから結局生きてるしかない。惰性で生きている。
普通の健常者を装って生きてる。

これからもそうなのかな、だましだまし生きていく人生なのかも。
変わることはあるのかな、って、そうぼんやり考えました。

返信する
めんま

ありがとう。
同じ苦しみに悩んでいる人がいると知れるだけで、
少し心が楽になった。

返信する

はな へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です