心の平和を保つ秘訣 ~広告・煽りのない場所へ~

湖近くの緑の木々
ある日、気が向いてファッション雑誌をパラパラと立ち読みしました。

ティーン向けの女性誌を見て、自分も昔こういうの読んでたなーと懐かしい気持ちに。ある雑誌では、メイクと整形の特集が組まれていました。可愛い顔が次々に示される、みんな可愛い。

アラフォー男性向けファッション誌を開いてみます。カッコいいスタイリングがたくさん載っています。うんちくも紹介されていて楽しい。

アイテム詳細をチェックすると、セレクトショップの商品が多くピックアップされていて、どれもしっかりめのお値段。さすが大人の男性は違うなぁ。

グルメ雑誌を開いてみます。おいしそうなお店がいっぱい。デートで喜ばれる店、家族連れにぴったりの店、部下を連れて行くとき選びたい店……。こういうお店で食べたらお腹も心も満たされそう。

ワクワクするような情報が詰め込まれた雑誌。特にファッション雑誌は、広告も美しくてカッコいい。

けれど、ページをめくっていくうちに、何とも言えないプレッシャーを感じました。

だんだん見本として示されている写真が「こうであるべき」というプレッシャーを与えているように思えてくるのですよね。

「できる大人は知っている」
「究極に女らしく」
「男のモテ服の正解」

最初はツッコミながら拾っていたキャッチフレーズさえも、だんだん笑えなくなってきます。許容量を超えると、心が死んでしまうのでしょうか。

 

ときどき、言葉のない世界に行きたくなることがあります。

あまりにも情報が多すぎて疲れてしまうのですよね。

インターネットやSNSは楽しい。テレビや雑誌で情報をチェックしたりもする。電車に乗れば、広告を読み込む。

ふむふむ、なるほど、と頷く。

情報には目的があります。発信者は何らかの目的をもって情報を伝えます。情報は広告でもあり、過剰に人を煽って消費行動を起こさせようとするものも多いです。

そんな情報にまみれていれば、そりゃ疲れて当然だ。

じゃあ、疲弊した心を癒やすためにはどうしたいいのか。

私が実行するのは、ネット断ち。特に目的もなくネット情報を眺めるのをやめる。

情報を制限することで、かなり気持ちがラクになります。

って、こうしてブログを書いているのは矛盾してるじゃないかとも言えるのですが、最低限のものに絞り込むだけで、全然違います。

 

気づくと、頭の中には言葉がいっぱいです。

言葉で考えるのをやめようと思っても難しい。

目を閉じて、心を鎮めようと心がけても、前頭葉は働きます。

「言葉で考えるのをやめよう」
「考えない、考えない」
「あぁ、だめだ、また考えてる」
「心を無にしよう。無、無、南無、南無」
「……おててのシワとシワを合わせてしあわせな~む~ってまた言葉」

みたいなね。

そういうときは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に集中。

体の隅々まで「気」を行き渡らせるイメージです(太極拳っぽい感じ?)。

そうすることで、言葉の支配圏から解放されます。

多分これが、すごくリラックスできている状態なんだろうなと思います。

ぜひもっと極めたい。

 

しんどくなったときこそ、空とか、海とか、風とか、草木とか、自然に身を置いたときの気持ちを思い出したいものですね。

人工物に囲まれて過ごしているとすぐに忘れてしまうので、事あるごとに確認いたしましょう。

言葉は武器にもなり得るもので、使うためにはエネルギーを消耗するのだなぁと痛感する日々です。

私としては、回復呪文を体得したいところです。

ラミパス ラミパス ルルルルル~

2 COMMENTS

あんじぇ

こんにちは。
わかります。
本当に言葉のない世界に行きたくなります。
毎朝起きて、母と会話するのも億劫になります。
何とか、毎日日記を書こうと、日記替わりにツィッターを始めましたが、
ダメな時は本当に数行で終わってしまいます。

TVはニュースやワイドショー等々、ケーブルTV以外は観ないように気を付けています。
世の中から離れていたくなります。
雑誌なんて、もう何年も観てないです・・・
回復呪文、私も欲しいです・・・

返信する
みっちぃ

誰もいない、光も、音も、震動もない。暑くも寒くもない、強風もない。
刺激のない世界に行きたいです。

返信する

あんじぇ へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です