途方に暮れたとき日記に記す言葉と、私にとって大事なこと

ペンギン

「一生懸命やってるんだけど、うまくいかない……」

そう嘆きたくなることはありませんか?

努力が結果に結びつかないと、やる気を失ってしまいますよね。

うまくいかない原因の大半は、やり方が間違っているか、努力量が足りない、このどちらかです。

だから、不適切な部分を見つけて、軌道修正することが大事。

でも、結果を求めて、いつもいつも根つめていると疲れます。

だから、楽しむ気持ちを忘れてはいけません。

……みたいな話を今からします。

あなたとお話するていで行われる、とりとめのないおしゃべりです。

ラジオの書き起こしみたいなものだと思って読んでいただけると幸いです。

つまり、読みにくいけどゴメンねというお断りです。

何だか心寂しくて、寝る気分にもなれず、むだにネット徘徊してしまう、暇を持て余した夜などにどうぞ。

おしゃべり好きなコミュニケーション下手

私はけっこうおしゃべりが好きで、世間話や意味のない話、テキトーな嘘設定に乗っかり乗っかりで、一体何の話をしているのかわからないみたいな寸劇も楽しく、おしゃべり好きな人と居合わせれば、わーわーわーと何やらくっちゃべっているわけなのですが、実のところ主張したいことは特にありません。

でも、主張したい意見はなくても、お互い心地よい時を過ごしたいという気持ちは強いので、そのためにできることは、言葉なり態度なりで伝えたいという気持ちはあります。

人の話を聞くのも好きです。人が自分のことを話す姿っていいですよね。自分が知らない感性を知ることができるのは面白い。

とはいえ、私がほとんど本音を出さないものですから、相手も同じく本音を語らず、上っ面だけの適当な話をして終わりになるわけなんですけれども、話の内容にかかわらず、うまく伝えたいなという気持ちはいつもどんなときでもあります。でもコミュニケーション技術はないので、「うまく言えなかったなー」とあとで一人反省会を開催するはめになり、めちゃ疲れます。

力みすぎるのはよくない

で、せめて、瞬発力が不要なブログではちゃんと伝える努力をしようと思って、それなりに考えながらいろいろ書いているんですけど、論理的でもないから、うまく主張を組み立てられず、思いついた言葉を羅列していったら、なんかただのポエムじゃんみたいなことになりがちです。

一生懸命考えれば考えるほど、うまく話せなくなって、結果的に何を書いているのかわからないみたいなことが多いんですよね。

先日も「たしか前に似たような話書いたよな~」と過去エントリを読み返したとき、絶望的な読みにくさにびっくりしたことがあって、まぁ、自分の文章が下手なことはわかっているのですが、あんまりにも主張が頭に入ってこなくて、ほんとビビりました。

逆に一切の推敲なしに、思いついたことをバババババーと書き連ねた投稿(このエントリみたいな雑談系の長文)の方が読みやすかったりして、「なんだかなぁ~」と脱力です。

だから、思ったんです。あんまり力むとよくないな~って。「うまく書こう」とガンバッテ書いてるときって、楽しくないんですよね、あんまり。

もちろん、書き散らかした文章をそれなりにまとめられるときもあるし、必ずしも苦痛なわけではありません。

ただ、「うまくやろう」の気持ちが強くなりすぎると、よくない。

「もういいや、今日はおしゃべりスタイルじゃー」と思って書くと、すごい気楽だし、楽しいんですよね。いや、もちろん、おしゃべりスタイルでも絶望的に読みにくくてボツにすることもあるんですけど。というか自分が読めるだけで、第三者にとっては苦行でしかないパターンも多いと思うんですけど。そうです、これは甘えです。いつも読んでくださるあなたへの甘えです。いつもありがとね。って本当に感謝してます。

やめたら、それでおしまい

まー何にしても、「ちゃんとしよう」ってあんま思わない方がいいよな~って。いや、ちゃんとした方がいいに決まってるんですけど、それにとらわれすぎると、結果的にうまくいかないことも多いな~と思いまして。

うまくいかなくても、「ちゃんとしよう」と苦しむ過程が成長につながることもありますけど、そればっかじゃしんどくて嫌になっちゃうじゃないですか。

んで、嫌になったら、行動するのがおっくうになりますよね。行動の頻度が減れば、おのずと腕は磨かれなくなりますよね。ってなわけで、鍛錬を重ねるという意味では、嫌にならない程度にやるってのが大事じゃんねって話です。

やめてしまったら、それでおしまいですからね。別におしまいでも全然問題ないんですけど、そう、だって、終わらないことなんてないですもんね、人間という動物の一個体を永遠に続けることはできないので、どんなことであれ、その限りにおいてはいつか終わるんだから、やる必要ないことはどんどんやめちまうべきなんじゃないかって気がしてきますよね。てか、そうだ。大事じゃないことはやめちまうべきだ。やらなくていいことはやりたくない。「やりたくねぇことやってる暇はねぇ」ってマーシーも言ってた。

あなたにとって大事なことは何ですか?

で、考えるわけです。私にとって大事なことって何よ?って。

私にとって大事なことって何? 

私にとって本当に大事はこととは??? 
 

はい、じゃあ、聞きます。

あなたにとって大事なことって何ですか?

あなたはこの問いに対する明確な答えを持っていますか? 

あなたにとって本当に大切なことは何ですか? 
 

私はね……って今ちょっと考えてみましたけど、特にないんですよね。

そもそも私って一体何なんだろうって感じじゃないですか。もう自分という存在がよくわからないんですよね。

以前は、自分のことが大嫌いで、本当に嫌で嫌でたまらなかったというか、自分のような劣った人間を認めることなど許されないみたいな意識があったんですけど、まあ、自己防衛が含まれてますよね。もうひどい言葉に傷つきたくないよって思いから過剰防衛になっちゃって、自分を貶めずにはいられない感じの大変なやつ。あとは、自分をダメだと思うことによって赦しを得ようとする気持ちとか、「もっとこうならいいのにな」という理想とか。

そういう他者の考えやら行動やら、自分以外の評価軸にとらわれていて、何だかずっと苦しかったんですけど、というか、今でもそれで苦しくなることはしょっちゅうあるんですけど、ふと思うわけです。

その苦しくなっちゃってる私は一体何なの? 

ここにはもう何もないですよね。嫌な感じもないです。喜びみたいなものもないですけど、意外と悪くはないわよねって気もする。いや、よくわからない。それで、しばらく放心して、「あ、いかんいかん」と我に返って、「ちゃんとしなきゃ」と思うわけです。

とりあえず、やろう、目の前にあることをやろう、何でもいいから、自分にできることをやろうって。

そんなことをくり返しながら、日々生活しているわけですけれども、社会の一員として生きる自分は、それはもうどうしようもなく頼りなくて、「あーもう無理」ってすぐ言っちゃうんですね。言っちゃうというか、常に思ってるというか、こびりついているというか。あーもー無理。

途方に暮れた私が日記に書きつけた言葉

はい、もう私無理なんです、全体的に。

これは別に人生に絶望しているとか、そういう話ではなくて、何て言うんですかね、前にブログで紹介した話*1ですけど、私は死ぬまでに食べる一生分の食事を思い浮かべて「こんなに食べられないよ、無理」と言ってる感じなんだと思うんですね。ちょっと違うような気もしますけど、何というか、まぁ、多分そう。

途方に暮れるときって、遠くを見つめて「はぁ……」ってなるじゃないですか、それは、一生分の食物を眺めている状態ですよね。それがダメってわけじゃないですけど、もっと楽しくなれるとらえ方があるんだから、そういう「今を生きる」的な選択をした方がいいんじゃないのって話なんだと思います。

でも、なんでかわかんないですけど、しょっちゅう途方に暮れちゃうんですよね。その傾向はどうやら昔からあったようで、そういうときの心情を私は日記にこう書いているのです。

「途方に木暮閣下」

途方に暮れちゃう心情とデーモン木暮閣下をもじってるわけですね、って下手な答えを解説するのが一番恥ずかしいパターン。

まあそれはいいや。デーモン木暮閣下は、紀元前98038年11月10日生まれで、現在100054歳ですか。10万歳ですよ10万歳。途方に暮れちゃいますよね。お前も蝋人形にしてやろうかあぁぁ!! はい、お願いしますって感じですよね。

だって、もうしんどいからさ、蝋人形になっちゃえば、苦悩もなくなるかななんて思ったりしてね。え、蝋人形になっても苦悩が消えない可能性アリ? え、じゃあ、やだ。

とか何とかやってると、何とか持ちこたえられるわけです。私って一体何なのよとか言いながらぼわーっとせずにすむ。

だからかわかりませんけど、やたら私の日記には「トホーニ木暮閣下」って書いてある。そう、漢字表記のときとカタカナ表記のときがあるんです。そのときの気分で変わるみたい。どちらにしても思い出されるのは閣下です。

んで、それを見ると相撲のことを考え出します。相撲のことを考え出すと、やくみつるさんや能町みね子さんのことも思い出されて、ちょっと楽しい感じになってくる。宇良関いいよねーレスリング相撲すごいのよー藤井聡太四段も好きなんだってさー私もすきーいいよねーって。はい、帰って参りましたー。てな具合です。

はい。

私にとって大事なもの

一気にここまで書きましたけど、私の感覚としては、書いたというよりしゃべくったって感じです。ぐだぐだ言ってるだけですね。でも、意外とぐだぐだ管巻いてるのも楽しかったりしませんか? とりとめのないことを話すのは嫌いじゃないです私は。だって、私という存在がとりとめのないものなんですもの。

ほんとにねぇ、いつもこんな感じなんです。といっても、さすがにこういう話題はとりとめがなさ過ぎるので、日常の雑談では「アイスクリームは偉大」みたいな具体性のある話をしていますけれども、そう、ほんと、アイスクリームは偉大です。本当においしいから最の高。

あ、わかりました。私にとって本当に大切なことは、アイスクリームを食べることです。私はね、バニラが好きなんですよ、バニラビーンズが入ったやつ。抹茶とかラムレーズンとかチョコミントとかも好きですけど、というか好きじゃないフレイバーはないですけど、バニラは最強ですね。しょっちゅう浮気しちゃいますけど、結局、最後には彼の元に戻るのです。「あー、やっぱコレだわ~」っつって。

私はアイスのために生きてます。私にとって大事なものはアイスです。アイスがないと生きていけません。

というわけで、アイスクリームを食べます。

アイスクリーム、ユースクリーム、好きさ~などと口ずさみながら、食べます。というのは嘘ですけど、ご機嫌な状態で食することは間違いありません。

あなたも、あなたにとって大事なものをやってみてください。

エンディング

というわけで、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

おかげさまで、楽しい時間を過ごせました。

私の長ったらしい話をこうして最後まで聞いてくれた忍耐の人こそあなたに乾杯!

乾杯するひよこたち

それではまたお逢いしましょう。

ごきげんよう。

 

*1 前にブログで紹介した話:己のダメっぷりに打ち負かされたとき役立つユニークな例え話

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