痛みから解放されたときのあの喜び、それと似た感覚を味わった日のこと

鉄骨外階段に座るアホ面バニーの着ぐるみ
先日、久しぶりに調子の良い日がありました。死にたい気持ちや無気力感、体の重さ・だるさも和らいで、思わず「あれっ?!」と声をあげてしまうほどに。

これといったきっかけは思い当たらないけれど、心と体がいつもより軽やか。あくまでも「通常時に比べれば」ではあるものの、長い間つながれていた鎖から解放されたような喜びに包まれました。

が、調子の良い日は一日程度で終了しました。一体何だったんだ。あの軽やかさなら、いろんなこと前向きにやっていけそうだと思えたのに。希望はついえました。残念です。久しぶりに享受できた喜びだったから、ガッカリ感も大きいように思います。

それでも、よかったことはあります。それは、努力不足が原因ではないと再確認できたことです。だって、急に回復したんですもの。「行動することでやる気はついてくる」とか「思考のゆがみを修正して捉え方を変える」とか、そんなん全然関係なかった。唐突に、ポッと良くなった。特に何もしていないのに。

常日頃どうすればよくなるか試行錯誤し、それなりにごにょごにょやった結果として調子が整ったんだよ、という見方もできるかもしれないけれど、自分の感覚を信じるならば、それは違うと思います。なんか気まぐれっぽいんですよね。わかりやすい規則性がなかなか見出せないから……。

多分良くなるための条件が複数揃わないと、調子は整いにくいのかなとは思います。大きなストレスを抱えていなくても、生活リズムがそれなりに整っていても、ダメなときはダメ。天候もけっこう影響が大きい。あとは何だろう……目的意識が失われると崩壊するってところはあるかもしれません。ゴールのないマラソンのような地獄感。

というわけで、結局まただるい日々が続いているわけなんですけれど、だるさの度合いとしては、そこまでひどいものではないので、それなりにやっています。

今後もこのだるさの度合いを観察しながら、休憩したりちょっと頑張ってみたりしていこうと思います。

休みがちになると後ろめたさが生じるけれど、活動時間が制限されるのは仕方ないことだと理解することも大事ですね。

 
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2 COMMENTS

あり

ナミさん
気が向いたとき…読んでいます。
死にたい…と言うか…無になりたい…
自分の存在理由は何?
わからない…
根拠の無い不安…いつも感じている…

でも…生きている。

それで良いのだ…
生きているだけで幸せなんだって思う…

ようにしている…

なにを言いたいか…???
でも誰かに聞いてほしい…矛盾の思考…

意味不明なコメントすいません…

毎日毎日…小さく死んでます…

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Hiroko

ナミさんの言葉に励まされた人、癒された人、ほっと安心できた人、いっぱいいると思います。もちろん私もその一人。そんな大切なナミさんが「痛みから解放されたような日」がたった一日ではなく、もっと多く訪れることを私は願います。

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