弱った心を癒し大切なことを教えてくれる物語『モモ』

美しく射す光

ミヒャル・エンデの児童文学作品『モモ』を読みました。

とても素敵な気持ちになったので、その感想を書きます。

いつもの調子で、以下感じたことをダダダーと綴っていきます。ネタバレはありませんが、余計な情報がない方が物語がまっすぐ入ってくると思うので、未読の方は『モモ』を読んでからどうぞ。

ミヒャル・エンデが描いた『モモ』の世界

児童文学の定番『モモ』。何年か振りに読みました。はじめて読んだのは小学生のとき。読み進めながら、子どもの頃に思い浮かべた風景が思い出されました。こんな気持ちで読んでたなーとか、ここは「?」だったなーとか、懐かしさとともに。

3章あたりからは完全に物語に引き込まれていましたね。登場人物が言っている言葉がものすごく示唆に富んでいるわけです。あー、これはアレのこと言ってるんだな、コレはああいう状況のことだな、といった具合に。もちろん、大人になってもよくわからない部分はたくさんあります。でも、何がわからないかわかるようになったということがけっこう大事なポイントかなと思います。その「?」をどうやって表現するか。すごく難しい。この物語はそれをわかりやすく伝えています。しかも、とても美しく。

さて、この本を読み終わって考えずにはいられないのが「時間」。

時間とは一体何なのか。

この物語の中で、都会の人々は灰色の男たちにそそのかされて、時間を盗まれてしまいます。その手口は巧妙。灰色の男のアドバイスを受けて、人々は良かれと思って頑張ります。とにかく効率を求めること。ムダなものはすべて排除。結果がすべて。

あら? 何だかどこかで聞いたことある話。そうだ、これは自分が育ってきた環境そのもの。幸せになりたくて、人は大切な時間を切りつめるのです。でも、時間は貯蓄できるものではない。時間は生活そのもの。

時間を人間に分け与えるマイスター・ホラという人物は、時間は心で感じるものだと言います。色を目で見るように、音を耳で聞くように。時計やカレンダーは時間じゃない。目に見えないホワホワ~を、なんとか頑張って形にしたもの。不完全。

これはお金とも似ているかもしれません。紙幣や硬貨は「ありがとう」を形にしたもの。その紙切れやコインに価値を見い出しているのは人の心です。

焦りが止まらない原因

どうしようもなく焦ってしまう。

はて、私はなぜこんなに焦っているのでしょう?  

時間が追いかけてくる?
せかされる?

時間は人を追い立てたりはしません。ただ、そこにあるもの。泉のように湧き出て流れてゆく。あるいは、風のように。モモはそれを音楽だと言いました。いつも聞こえている美しく静かな音楽。

詩的ですねぇ。

なぜそんなに急いでいるのか?

自分で作り出した幻想が追いかけてくるから。もっと時間を節約しないと不幸になるから。時間を削れば削るほど富が生まれるから。効率第一。それは中身を充実させることなのだ、それができない者はダメ人間なのだ、と。

もはや止めることはできません。走り続けなければ自分の人生は終わってしまいます。そうなれば私は死んだも同然。だから、早く仕事を終わらせなければならないのです。より多くの成果を生み出さなければならないのです。

あれ? これまたどこかで聞いたことあるよ?

それは灰色の男たちの謀略。

「夢に日付をつけよう!」
「365日24時間、死ぬまで働け」

おや、彼も灰色の男だったのか。

モモの素晴らしい才能 あなたも持っている才能

モモには素晴らしい才能があります。それは、人の話を聞くこと。モモに話を聞いてもらうと、すべてがスッキリ解決してしまうのです。

モモは相手の話にじっくり耳を傾けるだけ。そうやって時間をかけて向き合っているうちに、相談を持ちかけた人々は答えを見つけます。自分の内に答えがあることに気づきます。

子どもながらに私はこのモモの才能に憧れました。私も人の話をちゃんと聞ける人になろうと決めました。

そのときは、なぜモモにそんなことができるのかわかりませんでした。魔法みたいだけど、魔法じゃない。モモはきっと“わかってる人”なんだと思いました。だから、私もちゃんと“わかって”相手の話に耳を傾けよう。

この“わかる”というのは、“叡智”をイメージしていたように思います。人の心理を理解して、世の中の仕組みをよく知っている賢者。でも、「能ある鷹は爪を隠す」。モモは何も知らないフリをしているんだ、それがきっと正しい賢さなんだ、と。

でも、違いました。モモは本当に聞いているだけだったのです。時間をかけてじっくりと。ただそれだけ。そして、それが一番大事なこと。

自分が知らないということをモモは知っていました。だからこそ、物事をまっすぐ見つめることができる。

私(たち)はついつい知っているつもりになってしまいます。何となくわかった気になって、そのことに気づかず生活している。あるいは、知らないことは恥だから知ったかぶりをする。「知らない」「わからない」なんて口が裂けても言えないのです。

バカにされたくないし、そんなことを言って空気を壊してはいけない。相手の気持ちを察しなければ。

それができなければ、仲間に入れてもらえない。孤独はイヤ。相手に見下されるのも怖い。

そんなふうに過ごしていたら、人との付き合いに疲れてしまって当然です。人間不信にもなるでしょう。そして、そんな殺伐とした世の中を嘆くことになります。

きっとモモはこの不安さえも受け止めてくれることでしょう。いや、受け止めるんじゃなくて、“それ”を共有してくれる。一緒に感じてくれるのです。

モモのその素晴らしい才能は、モモだけのものではありません。人は誰でもそれを持っています。

小学生のときにはわからなかった答えを知った今。20年という長い月日、モモはずーっと私の話を聞いてくれていたのかもしれない……。

あら、これ、めっちゃ素敵やん?

なんだかとても心強く思えます。

弱いんじゃない 儚いんだ

今の世の中が生きづらいと感じてしまう人たちは、きっと繊細で美しい花を持っている人なんだと思います。

だから、ちょっとの灰ですぐに枯れてしまう。

なんとか持ちこたえて、灰色の世界に順応して頑張ってきた人。

その社会からドロップアウトして、みんなと同じような生活ができなくなって絶望します。自分の人生は真っ暗闇だと。

少しずつ目が慣れてきて、それでも自分の世界はモノクローム。世間はキラキラと華やかでまぶしい。自分の心はどんよりと沈みます。

でも、実は輝かしい世界・望ましい社会は幻影でした。本当に素晴らしいものも存在しているけれど、それはほんの一部。多くは、一枚皮をはいだら灰色なのです。中には腐っているものもあるかもしれません。

鮮やかな色でコーティングされた作品たち。

私がずっと憧れ続けてきたもの。

本当は違う。

自分が今いる世界が灰色なんじゃない。灰色の世界で身につけた灰色のサングラスをしているだけ。それを外せば、美しい世界は今ここに広がるのです。

立派な立派なサングラス。自分が信じて疑わなかったその価値。灰色サングラスは仮面のようにひっついて簡単にはがれはしない。

そんな悲劇。いや、喜劇?

すてきなともだち

モモの大切な友達、道路掃除夫ベッポと観光ガイドのジジ。私はこの2人が大好きです。

ベッポは、本当に大切なことは何か知っています。

目の前の一つ一つを大切に。ひと足、ひと呼吸、ひと掃き。そして、味わう。考える。

みんなやたらと嘘をつく。自覚もなしに。それが不幸の元になっているんだ、と。

ちゃんと考える。だから見極められる。

そんな老父ベッポとは対照的な若者ジジ。口から出まかせの物語をペラペラとしゃべります。インチキでデタラメな話。

ジジはわかってないダメなやつだなぁ~と小学生の私は思いました。

でも、全然そんなことなかった。すごく好感が持てました。ジジは嘘つきじゃなくて、夢見る少年。風立ちぬの飛行機オタクと似た人種。ロマンスの神様のお友達。決して偽物なんかじゃない。モモやベッポはそれをちゃんとわかってたんでしょうね。

この本を読んでいると、物語の登場人物たちがどんどん好きになっていきます。優しい気持ちになれます。

作者のミヒャル・エンデさんに見えていた世界はどんなものだったんだろう? そんなことを考えると、美しい世界は無限に広がっていきます。

ミヒャル・エンデ本人によって書かれた挿絵もとても素敵。縁取りのオレンジもよく合っています。こんな小さな本一冊に、広い広い世界が存在していると思うと、自由になれる気がします。

何度も何度も読み返したい作品です。

 

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