言動が鼻につく人に対する嫌悪感を和らげる方法

なんかよくわかんないけど、言動が鼻につく人っていませんか?

ちょっと適当な例が思いつかないんですけど、何というか、少し会話するだけで言葉にできないモヤモヤ感が生まれる感じ。イライラまではいかないけど確実に不快にさせられるような。

すごく曖昧な話になっちゃってるんですけど、こういうモヤッとしたものを感じたとき、私は一体何が気になっているのかな? と事あるごと考えておりまして、いろいろなモヤッを総合して、根底にこんな気持ちがあるのではないかというところに辿り着きました。

「自分は特別である」
「皆よりわかっている」

とにかく自分がスペシャルな存在であることをアッピールしている。それが鼻につく。

こういう気持ち自体は全然悪いことではありません。生存競争に勝つために必要な心理とも言えそうですよね。そして実際あなたはこの世でたった一人の特別な存在であることは間違いない。

ただ、人を貶めた上で優位に立とうとする人の姿を見かけると、すごい嫌。人を貶めていることに無自覚だったり、自分は理性的に批判しているだけなのだと思っているような人に対する不快感はもっとすごい。

この感じを見つけるたびに、うわあはぁあぁぁ~となります。

大したことできないくせに、わかってる感を出す私

人を貶めた上で優位に立とうとする人は嫌と言いながらも、自分が同じ意見を持っているときには、諸手を挙げて賛成したくなります。特に、自分が強い不快感を持っているときには、偉くもないのに上から目線で相手をズバッと指摘する人の言葉によって気持ちをスッキリさせることがよくあります。

そんな自分に気づいたとき、自分に対して、うわあはぁあぁぁ~となります。

私も持ってた。

「自分は特別」
「皆よりわかっている」

うわあはぁあぁぁ~

認められたい、特別でありたいと思っている自分の気持ちを意識すると、急に冷めます。恥ずかしくなるんですね。身の程をわきまえよという声が聞こえてきて。さらにこういう思いは嫉妬にも結びつきやすく、面倒な不快感を生み出すことがあります。

別に誰かに認められたいとか、すごいねって褒められたいとかいう思いは全然悪いことではないし、恥ずかしいことでもありません。むしろ素直で良いものだと思います。自分を高めるモチベーションにもなります。

ただ、自分が優位に立って、周りの人を踏みつけるような態度はいただけない。踏みつけてなんかないですよと言いながら踏みつけていることもあって、あーもーあーーー。

私は人から見下されることが多いと感じているので(思い込みも含む)、上から目線の態度を毛嫌いしているわけですが、自分の中にそういう態度を見つけたときには「うぎゃ~」です。

何が恥ずかしいって、大したことできないくせに偉そうに語ってるのが恥ずかしい。無自覚であることも恥ずかしい。自分が見えてないってのは間抜けなものです。

だから、人と話しながらしょっちゅう「うわあはぁあぁぁ~」となっています。

このブログにも「うわあはぁあぁぁ~」な要素がたくさん詰まっていそうなので、見て見ぬ振りで更新しています。

子供が偉ぶる姿は可愛い

あれやこれやが恥ずかしいとは言いつつも、それは言い換えると無邪気であるとも言えます。

子供が鼻の穴を膨らまして自慢している姿って可愛いですよね。

「僕は特別なんだぞ!」
「みんなよりすごいんだぞ!」

言動が鼻につく人もこれと同じ。ただ、大人の場合は気持ちを抑えてクールに振る舞います。

カッコつけてるけど「僕はすごいんだぞぉ!」と鼻息荒く言ってるだけと思ったら、これまたちょっと可愛らしさがありますよね。カッコつければつけるほど、微笑ましさ(あるいは滑稽さ)が際立ちます。

こうやって、鼻につく人間を頭の中でイメージ変換すると、不快感が和らぎます。憎たらしい子供ではなく、自分が「かわゆい♡」と思える子供のイメージを生成するのがポイントです(可愛いと思えれば憎たらしい子供でもOK)。

これは自分に対しても同じで、「私は特別だ」とイキがっている自分に気づいたら、無邪気で可愛らしい子供の姿を思い描きます。

そうすると、いとおしい気持ちが生まれます。自分に対する嫌悪感もなくなるし、孫の振る舞いを目を細めて眺めるじいじ・ばあばのような心境になれるのですね。

余裕がないときには難しいのですが、この方法は多くの不快感を無効化してくれます。

さあ一緒に、孫に甘々のじいじ・ばあばになりましょう。

最後に

日常生活において、モヤモヤ感を抱くことは多いわけですが、ネットのおかげでかなり理解を助けられているなぁと思います。

ここに書いたもことも、ネット上の言葉を拾っていくうちに見えてきたもの。言葉が可視化されるから整理しやすくなるのでしょうね。時間をかけてじっくり考えることもできるし、一つのシチュエーションの背景まで想像することができます。

リアルで感じたモヤモヤ感の正体をネット上の言葉とあわせて理解するように、ネットで見つけた言葉や考えがリアルで役立つことも増えました。誰かが言った言葉に対して「あ、これアレだ」と結びつくデータが自分の中に蓄積されているのを感じます。

そうして見いだされたものが、今回書いた「言動が鼻につく人を心の中で愛でる方法」なのでした。

言動が鼻につく態度に出会ったら、その人の中にいる子供の姿を探して、温かく見守る。

「僕は特別なんだぞ!」
「みんなよりすごいんだぞ!」

心優しきおじい・おばあになりたいものです。

1 COMMENT

らん

なみさんの今回の文章中にある通り、「自分にもそういう所がある」と考えるとき、私はものすごくもやもやします。スパッと人を批判できればどんなに楽なことか。人に文句を言いたくても、色々ごちゃごちゃとその人の事情や「逆の立場だったら」を考えて、結局自分の中にイライラもやもやを押さえ込んで、どんどん蓄積して行ってます。すごく疲れました。

記事の内容からずれたコメントで申し訳ありません。

いつも読ませて頂いて、救われています。どうもありがとうございます。

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